場所はここ!!
1980年 新校舎になる 2001年休校
安芸市内とはいえ市内から1時間は207号線を北上した場所にあります。
バス停もあるし、案内板もあります!


校庭の様子





1980年は別役小中学校を統合した年でもある。

学校の様子





そして校舎の東側には教員舎宅の跡が。
これだけ完全に形で舎宅の跡を見るのは初めてだ。
舎宅は3段に分かれてあり、一段目が単身用が4室と共同の風呂トイレ、2段目が家族用3室と共同の風呂トイレ、3段目に単身用4室と給食室らしき場所が。
昭和30年代には100名を超す児童生徒がいた事からも、いろいろと推測できてしまう。
以下、私の推測ですが!!
校長先生、教頭先生、小中1学年一人ずつの先生で合計11名の教員。
現在安芸市内から車で1時間程の距離ではありますが、昭和40年頃までの交通手段は前を走る伊尾木森林鉄道のみで、よほどの近所出身の教員でない限り、舎宅を利用していたのだと思います。
そしてその後、森林鉄道が県道207号線に変わったあとも、やはり現在より道路事情も悪かった訳で、結構活用されてたのでは、と思いますね。
まず一段目が独身男性教員宿舎
写真を撮り忘れてますが、4室の右端に共同の風呂トイレがあります。
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2015.11.1追加
一段目の舎宅


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入ってみる(ドアは壊れてました)
これは風呂掃除の当番??



2段目が家族用舎宅

ボイラーがあるので家族用には風呂トイレも完備だったらしい。
そしてその横のあるのが、女性教員用の共同風呂トイレと思われる。


そして一番上の3段目の女性教員用舎宅と思われる建物。

校舎にはもちろん鍵が掛かっていては入れなかったが、教員舎宅跡や風呂トイレには鍵が掛かってなかったり、ドアそのものが壊れていたのは、休校後もこの学校が安芸市内の児童生徒の夏休みの教室で利用されていて、いつの間にか、てとこだろうか?




うーん、いろいろと当時の様子が想像出来てしまう!!!!
3段目の左側、煙突が3本あるこの場所が給食室だったと思われる。
雨に濡れないように屋根付きの通路がある。

自転車置き場

そしてここにもある伊尾木森林鉄道の跡!
車の通れる橋の日付は確か昭和40年だった。
それは森林鉄道が廃止になった年でもある。
私の生まれる前の話ですが、いろいろと当時の様子が想像出来てしまう!!

多分あの学校の裏にあった小道が森林鉄道跡だと思う。
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