場所はここ!!
歴史
明治5年(1872年) 氏神山祇神社の拝殿を利用し学校を開く
昭和23年 暁霞村立河野小学校として独立
初めて秋季運動会を開催し地区民を喜ばせる
在所村立→香北町立となり
昭和52年(1977年)廃校、大宮小学校に統合(現存)
今から180年程前に高知の桜屋・虎屋などの商人が河野に事務所を設け林産資源の開発に当たっていた。河野地区での心ある者はここの事務所員について読み書き計算を習っていた。。と、香北町史に記載されている。
林業が盛んだった頃は30人程の生徒がいて、廃校時も10人程いたそうです。
美良布から暁美橋(きょうびばし)を渡る。暁とは旧暁霞村から由来するものなのだろうか!!!




林を進む。各地に石垣がある。確かに昔、ここに産業があり、人が住んでいたいう形跡はある。

橋を渡る。民家が二軒ある。一軒は爺さんが黒い犬を飼っていた。もう一軒は、塗り替え済みの家。そしてさらにその奥に一軒、爺さんが何か作業をしていた。




そう思いながら走っていると、いきなりログハウス出現!!
しかもこの直線道路にカーブミラーがついている。もしかしてそこを左に曲がれば・・・


廃校後の様子(年代不詳)
撮った方向が分からないが、右が校舎だと思う。そして、正面は右の建物の写ってる反対側だと思う。そして、奥に屋根が見える建物は完全に崩壊していた。
そしてその下の写真がその、奥に屋根の見えてる建物だと、勝手に推測!!!


これが2005年3月に訪問された方の写真。はたしてその10年後は!!

しかしこの校舎、驚くべき事にとても保存状態がいいのだ。周りを山に囲まれ強風から守られているからだろうか!!























校舎の東側には講堂らしき建物が。

昭和40年台、30年台、20年台、そしてそれ以前、車もなく道路事情もかなり悪かった時代、子供達も村道を歩いて登校していた時代。教員はこの中に宿舎があり泊まり込みで仕事をしていたんでは?と想像する。
在りし日の河野小学校

河野小学校の配置図

現存する貴重な木造校舎跡に一つである

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