高知の廃校になったあの小中学校は今!!

大月町・芳ノ沢小学校の校舎(昭和58年廃校・昭和27年築)

カテゴリ: 葉山の学校

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・現存する葉山小学校の開校は全国的にも非常に早い学制の発布明治5年の12月である。
その理由の一つとして、半山郷には明治維新の回天に功労のあった50人組の残存者が7人もいて、それらの人々が村政を牛耳っていたために新政府の教育方針にいち早く賛同し、これを実現した事。
二つ目が、片岡護善を塾頭とした私塾があり、後の財界、政界に活躍した片岡直輝、片岡直温らもこの塾に学んだ事があり、村内外に聞こえた塾であったので、その私塾をそのまま小学校として移校するのが容易であった。
と、葉山村史に記されている。

まあ早い話が明治5年に「全国に小学校ていう日本という国家が組織的に国民に教育を施す機関を作ろうぜ!!」と話しが出たとき、それに瞬時に対応できるほど、教育に対する理解、その環境、基盤、財政もしっかりと、この地域には既に出来上がっていた!!という事になる。

そしてそれは現在の津野町の大きさの地方自治体でもなく、それ以前の葉山村の大きさの自治体ででもなく、葉山村になる前の上半山村、下半山村のその前の13の小さな村レベルで達成していた訳だから、当時この地域がいかに繁栄していたかが想像できる。

白石小学校
葉山西中学校
床鍋小学校


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西森商店から白石に向かう

プールと近代的な木造校舎が見えてくる
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到着
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学校の石碑
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学校の歴史
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小学校というものは、地元民に愛されている。まあ当然の事ではあるのだが。
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また「葉山村史」には
明治7年3月 駄馬の部落に旧名元の家を借りて、楠目正栄氏を雇い入れ、児童の教授を始めた。これが白石小学校の起因である。との記載がある。

が、床鍋小学校に載せた、「葉山村史」にあるように、この地域でのいわゆる「教育」の基盤は700年前から確立されていた。
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プール
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全景
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校庭
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正面玄関
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平成2年の新しい校舎。
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帰り際にスクールバスが。
精華小学校からの帰りだ。
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この地域にはまだまだ子供達の活気がある。

もしかして、この白石小学校、、、もしかして、些細な事がきっかけで、復活したりして、なんて思いながら帰るのであった。
(^^)/(^^)/(^^)/

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西中の写真。
本人たちには自分が何処に写っているかよく分かっていると思う。
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そして現在はもうその面影は無い
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そして敷地の目立つ場所に
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「ここの地に学ぶ」だったと思う。

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そしてここにもベルトコンベヤーが。
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すんごいな
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鳥形山が須崎に移動していく!!!
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昼も過ぎたし、腹減ってきた。
西森商店発見。

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なかなか活気のある地元の食料品店だ!!!
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そして、多分 中学校の部活帰り以来となるであろう、いわゆる学生の燃料補給用というコンセプトで開発されたであろうと、私が今勝手に思い込んだ「スイートロシア」を購入。

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まさかこういう形であの頃の定番を食べる事になろうとは!!!

そして、この西森商店の「スイートロシア」、西中生にも勿論定番だったはずだ!!
(笑)

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開校 明治13~22年頃
 当時は校舎という整った建物があった訳ではなく、不要になった民家をいくらか改造してこれにあてていた程度のものだったらしい。

昭和58年 葉山小学校に統合
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鳥形山からのベルトコンベヤーを通過
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床鍋小学校跡にプールは見当たらなかったが、この依包川には、泳ぐには丁度良い場所が沢山ある。
この堰なんかはなかなか水深もあり、飛び込みには最適だ!!
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まあ、危ないと言えば、危ないかもしれない!!
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でも、当時はこの上から頭から飛び込みをする事が一つのステイタスだったに違いない。
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そしてその飛び込み自体が、現在のプールでは禁止!!!

もはや学校の水泳の授業は、静止した水の中を水着を着て準備運動をしてゴーグルを付けて安全に泳ぐという究極のヘタレ教育に成り下がってしまった。

いざという時に、飛び込みが出来ない、さらに飛び込みをせざるを得ない状況で不慣れな飛び込みをするという事は、生死の境目を左右してしまうかもしれないというのに。

という訳で、子供は外で元気に遊びましょう!!


到着
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大崎商店
当時は児童達で賑わっていた事だろう!!
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床鍋の集落のド真ん中の道沿いにあるので迷いようがない。
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学校の前の依包川も泳ぐには最適。
この床鍋小学校跡にプールは見当たらなかったが、本当になかったのかもしれない。

もともとこの地域の子供達はこの自然環境の中で、自動的にこの依包川で、泳ぐ事を覚えていて、それをわざわざ「プール」ていう箱ものを作り、カルキ臭い静止した水の中で泳ぐ練習をしましょう!!て、何を今更!!!という事だったのかもしれない。

勿論、現在の小学校では学校に「プール」が無く、川で水泳の授業をするというのはあり得ない話かもしれないが、昭和の時代に廃校になった小学校では、プールなんてものは無く、普通に川で泳いでいたという話はよく聞く。

もしかしてそれは、現在では、普通の小学生は「泳げない」のが普通で、学校の水泳の授業を通して「泳ぎ」を覚えるのだが、
昭和40年代、30年代以前の小学校で、回りを自然に囲まれ、地域の児童達が自動的に泳げるようになっている環境の中にある小学校では、わざわざ「体育」の授業の「プールで水泳」という授業は、「とんでもないおおきなお世話」だったのかもしれない。
しかも、流れのある川で自由自在に泳ぎ、潜り、飛び込み、魚まで捕まえていた、そんな当時の小学生に、わざわざ、カルキ臭く、全く流れのない「プール」てものは、ただライバルとタイムを競う、という事以外は全く興味がない場所だった事だろう。

それを考えると、今の小学校の「水泳」の授業は、子供達に、自分で自分の命を護る術を限りなく教えない、とんでもない「ヘタレ教育」という事になると思う。

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まあここは低学年用かな!!
ここで一定レベルの泳ぎをクリアして、上級生に認められた者が、さらに楽しい場所に行ける!!!というシステムになっていたのだと思うな!!!www


そして床鍋小学校の校舎。
昭和27年築の木造校舎のようだが、現在「森の巣箱」という観光施設になっている。
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当時の写真
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校庭のオブジェ
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ブランコ
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入り口
今までの学校跡地とは多少趣の異なる場所だ。
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学校の北側はなんとなく昔の面影があるが、、
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その北側に体育館??にしては少し小さいかな??
でも、それは現在の体育館が巨大化しただけで、当時の体育館とはこれくらいの規模だったのかもしれない・・・・
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そして、プールを探すが、やはり無いようだ。

ここにもベルトコンベヤーが、、
完全にあの距離を、ほぼストレートに走っているのだろうか??なんか凄いな!!
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そこから見る、床鍋小学校
小学校というものは、その集落の特別一等地に建てられるものである。
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床鍋マップ
ここから床鍋鞍川夢トンネルを抜けて国道197号へは8分。
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そしてこの「葉山村」
なんといまから700年前に既に「小学校」というものがあったそうだ。
(葉山村史 929P)
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そして、この床鍋小学校の統合先の葉山小学校は、学制発布の直後 明治5年の12月に開設された全国的にも珍しく開設の早い小学校だったそうだ。

でもそれは既に700年前から、地域の教育の基盤というものが確立されていたこの場所にとっては、ただ今までやっていた当たり前の事の「呼び方」を変えるだけの、簡単な事だったようだ。
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(葉山村史 978-979)

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