高知の廃校になったあの小中学校は今!!

大月町・芳ノ沢小学校の校舎(昭和58年廃校・昭和27年築)

カテゴリ: 仁淀村の学校



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仁淀村は昭和29年、長者村と別府村が合併し仁淀村が発足
昭和30年、大字本村・加枝を分離し吾川郡吾川村に編入
平成17年(2005年)池川町と吾川村を合併し仁淀川町となる。
合併前の平成15年(2003年)の人口は2533人

高瀬小学校
沢渡小学校
森小学校
別枝小学校
別枝中学校
泉川小中学校

番外編
大引割への道・松原地区・生芋地区
大引割
春日神社

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森小学校は現在の別府小学校

森小学校としての歴史は明治8年の開校し、昭和38年に高瀬小学校を統合し、別枝小学校、沢渡小学校、川渡小学校と統合して別府小学校になる昭和49年まで。

また川渡小学校跡地と周辺を利用して、昭和51年、長者中学校、泉川中学校、別枝中学校と、大渡にあった組合立中学校を吾川村と分離して統合し、仁淀中学校が設立されている。


在りし日の森小学校
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児童数
昭和35年 341人
昭和45年 179人
昭和48年 164人
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別枝小学校跡地の敷地を横断する道が出来る前の、旧道を通ると綺麗な場所がある。
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春日神社
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春日五社大明神
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神社の前は公園になっている。
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泳ぐのもOK!!
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春日公園
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赤い橋を渡る
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いい感じの公園
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川辺にも降りれて
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水も綺麗!!
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別枝小学校跡を奥へ。
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都に向かう。
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松原、生芋の集落から想像してここも地図と現状のかけ離れた状態の場所かと思っていたが、違うようだ。
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「都」というだけに安徳天皇に由来のある集落のようだ。
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事前情報を全く得てなかったので想像の斜め上の展開が素敵だ。
そして、また限りなく無人に近いこの集落が、逆にその事でその雄大さを醸し出している感じがする。

開都水、というものだそうだ。
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開都水の石碑
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駐車場になってはいるのだが・・・
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石碑
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どうやらここは別枝小学校発祥の地らしい。
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明治5年 学制が発布され、明治8年この地にも県庁より学校設立の指示があり、状況を理解出来ない反対派がいる中、事の重要性を理解し自宅を学校替わりに学校教育を推し進めていった先生がいたそうだ。

その方の名前が「西村貞平氏」
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都の夏祭りはここで行われていたに違いない!!
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観音堂がある。
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バイクを置いて歩く事に。
限りなく無人に近いこの「都」。
近くに屋敷のような建物があり、そこで犬が吠えている。
普通の過疎化が進んだ山間部の集落とは雰囲気が違う。

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行ってみる。
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少し戻って
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焼野権現様
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まさにここは「都」だ!
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過疎化が進み、無人になっていく集落の中には、このような歴史的にも、文化的にも貴重なもが沢山存在する集落が多く含まれているという事を、この日本に住む日本人として真剣に考えなくてはいけないと思う。

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この「都」が限りなく無人に近い状態とは。
でも、それでも「都」は「都」だ!!

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仁淀総合地所地域振興課によると、国道33号線から約30分で大引割に行ける道があるらしい。
地元の方も、道は良くないが、近いよ!と言われていた。

前回途中で引き返してきたが、今日は行ってみる事にする。

半信半疑のまま前回の道を進む。

大引割への徒歩での道と、600m手前で合流
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あと300mだ。
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到着した。
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駐車場は空。
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天狗高原方面に進むとすぐに看板があり
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すぐに到着した。
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33号線から丁度30分程だ。
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じつは大引割に来るのは今日が初めて。
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予定を立てて天狗高原から歩いて行かないと到達出来ない場所と思っていたが。
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高知市内から1時間45分程の場所になっていいる。
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また、バイクで行かれる方。
都への分岐を過ぎ、すぐに大きな右のヘアピンがあります。
そこカーブを抜けた立ち上がりに大自然の作り出したヌルヌルがあります。
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完全にヘアピンを抜けた直後の緩やかなこのラインでいきなりオバーステアで転倒してしまいました。

この少し光っている部分だけヌルヌルになっています。
マジでヤバいので気を付けてください。
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登りでの転倒だったので擦り傷で済ましたが
下りでのフロントロックなんかになればかなりヤバいです。

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到着以前から、なにやら回りが騒がしい。

なんと高瀬小学校跡地でのキャラバンバンの日だった。
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いまは観光センターになっている。
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ここから見下ろす大渡ダム
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学校の石碑
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開校 明治13年
閉校 昭和38年(森小学校、後の別府小学校に統合)

卒業生1000人以上を輩出したこの学校が、何故昭和38年という早い時期に廃校になったのか、もう少し詳しい経緯を知りたいところだ。
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それにしても、こんなに賑やかな学校跡地は初めてだ。
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在りし日の高瀬小学校
(仁淀村史より)
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別枝大橋を東に行くと沢渡小学校跡に着く。

入り口付近に石碑がある
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開校 明治 8年 
閉校 昭和49年
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石碑の隣に
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沢渡小学校跡地
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今は沢渡多目的集会施設となっている。
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隣には別枝小学校と同じく消防団がある。
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桜の木が切られている。

残念に思っていたのだが、これは木が弱ってきたので切り、現在元気な枝が出てきて綺麗な花を咲かせてくれてるとの事でした。
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綺麗な段々畑と言いたいところだが、奥の畑と、手前の畑では、手入れ具合が全く違う。「もう人が減ってねぇ」と地元の方が話されていた。
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そしてこの時期 台風の大水に備えるために大渡ダムの貯水量は減り、ダム湖の対岸の水没した集落跡が見えてくる。
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ここは旧33号線沿いで、当時は50~60の民家があり300人程が住んでいたそうだ。
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コンクリ製の建物の骨組みのみが残っている。
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大渡ダムの工事着工は昭和43年、完成は昭和61年。

神の鳥居が見える。 当時は丁度この時期、あのあたりで夏祭りなんかがあったはずだ。
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現在の33号線沿いから見える沢渡小学校跡地
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ひと昔前の沢渡小学校跡地
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別枝小学校跡に「大引割 5.5キロ」の標識がある。
地元の方も、こっちからも大引割には行ける。道は良くないけど、近いよ、とい言われていた。
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しばらく進むとこの看板があり、左の一本道に入る。
因みに直進すると、いずれ行き止まり。(平成28年8月現在)
でも綺麗な二車線道路を作っているので、完成すると天狗高原への新しいアクセスになるかもしれない。
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進む、昔はこの周辺にも多くの人が住んでいた雰囲気が残っている。
無人になった民家が二軒あり。
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都への分岐
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439号とも書いてあるので、もしかして山越えの道になっているのだろうか?
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大引割へは
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ここから少しだけ進んだ
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ここからも
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歩いて行けるようだ。
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バイクでさらに進む。道路が派手に崩壊し修復したこのあたりまで行ってみた。
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今回はここで引き返してしまったが、どうやら本当にこの先に「大引割へ徒歩3分」の場所があるらしい。

なにせ、役所がそう言ってるんだから!!!
(仁淀総合地所地域振興課より転載)
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そして帰りに、松原と生芋の集落を訪問してみる事にする。
(松原、生芋への分岐)
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こちらが旧道のようだ
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ここにも、鳥形山、大引割への案内がある
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進む。
直進すれば生芋、右が松原。 松原の看板は落ちている。
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松原到着
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どうやら無人の集落のようだ!!
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そしてこの石碑
「大公神・昭和6年・松原中組」と刻まれている。
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そしてその隣の石碑には「松原創立百廿年記念・昭和17年」
と刻まれている。
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という事は、この地区に人々が集まって生活をするようになり、ここが「松原」と呼ばれるようになったのが、1832年の事か!!

じゃあ、昔は丁度この頃にこの場所で夏祭りが開かれていたかもしれない!
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周辺の畑も手入れされてる様子はない。
が、道路は手入れされてるようだ。
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ここから大引割への道が見える。
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謎の煙突
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生芋(せいそう)への分岐に戻り、生芋に。
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道がかなり傷んでいる。
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生芋の民家跡
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さらにこの奥に数件の民家跡があるようだが行ってない。
この道の状況から判断すると、、、と言いたいところだが、想像、推測と現実が一致した事はないので、次回、大引割に行ってみるときに再訪問してみよう。
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電柱の日付は、2002.5.12
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もしかして10年程前なら、綺麗に手入れされた美しい生芋の風景が見られたかもしれない!!!!

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そして後日、生芋の奥の集落跡を再訪

地図とは状況が全く違っている。

道路の状況
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民家跡
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民家跡
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植林が入る前は、ここに美しい田園風景があったようだ!
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別枝中学校跡から約2㌔。別枝小学校跡に向かう。
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ブランコ
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壊れてしまった卒業生の作品
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基礎ごと移動した遊具。撤去しないのが学校跡地ならではの話だと思う。
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鉄棒
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ローラー
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この風景はこの先もしばらく続きそうだ!!
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学校前の商店。
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ここも新しく出来た道路が学校跡地を横断している。
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ここに校舎があったと、地元の方が教えてくれた。
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在りし日の別枝小学校
(井上さんの写真です)
写真左が旧道で、その後この校庭を新しい道路が横切っている。

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今は別枝上区多目的集会施設になっている。

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これは小学校時代の手洗い場だろう・・!!
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そして道路を挟んで消防団があり
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その横に別枝小学校の石碑がある
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開校は明治8年
そして、昭和49年、学校統合により廃校となる。
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33号から別枝大橋を渡り、岩屋川渓谷を登り別枝中学校に向かう。
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別枝大橋
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初代別枝大橋の完成は昭和26年の事だ。
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これはその20年後の昭和46年に完成した2代目らしい。
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そして、別枝の分岐のところのに古い案内がある
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この案内どうりに行っての辿り着けない、というか道路が新しくなっているようで、地元の方に教えてもらう。
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どうやら中学校跡地の真ん中を新しい道路が走っているようだ。

この広場が別枝中学校跡
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もしかして、これはほぼ同じ角度かも!!
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(いつもの井上さんの写真)

こちらは「吾川村史」より。
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現地に行けば、校舎の建っていた場所がわかる。

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少し校庭の雰囲気が残っているかもしれない。
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別枝広場ともいうらしい。
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別枝中学校は昭和51年、泉川中学校、長者中学校と共に仁淀中学校に統合される。

そしてこの2キロ奥にあった別枝小学校は、その2年前の昭和49年に統合のため廃校になっている。


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