高知の廃校になったあの小中学校は今!!

大月町・芳ノ沢小学校の校舎(昭和58年廃校・昭和27年築)

カテゴリ: 吾北村の学校

旧吾北村の西谷小学校校区から、旧池川町の安居小学校の校区に向かってみる

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まずは谷屋敷

この奥にもう一つ民家がありそこにはまだ人が住んでいる
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中峰の集落を上から
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手入れされた道があり、下に降りてみる
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素敵な田舎の風景がある
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高樽の集落を、集落から東に抜ける道の上から(赤矢印)

因みに、その赤丸をした道は、完全に荒れ放題で、もう使われていないようだ
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高樽の集落から南を見下ろすが、下に見える車は実は廃車になっている
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ゴミウの集落の廃屋
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ゴミウの橋周辺
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神田屋敷は、屋敷というだけあってまだ民家がしっかりと存在している

それを考えると「地名」といものはそれなりの「根拠」というものがあるのだと感じる!!


安居土居
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安居土居の夕暮れ
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上成の民家
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桑ヶ内の廃屋
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そして地図には民家が多く記載されている吉ヶ成は、集落の跡さえ確認できなかった

過疎化が進み地域の小学校が廃校になるという事は、こいう事なのか!!と改めて感じた!!


そして大事な事は、過去にそういう歴史があったという事を、そう簡単には忘れてはいけないという事だと思う!!

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吾北村は昭和31年、小川(こがわ)村・清水(きよみず)村・上八川村・下八川村が合併して発足。
平成16年(2004年)、土佐郡本川村、吾川郡伊野町と合併し、吾川郡いの町が発足。

合併前の2000年度の人口は3358人

・学校統合の流れ。
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児童数・生徒数の推移
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昭和43年には1200名を超す児童生徒がいた!!

それが現在では1/10程になってしまっている。





こんな美しい木造校舎も現存しています!!!
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清水第一小学校
清水第二小学校
三水小学校
上西小学校
上東小学校
中央小学校
上八川小学校
東谷小学校
西谷小学校
柳野小学校
小川小学校
下八川小学校
津賀才小学校

番外編・日比原

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平成23年吾北小学へ統合

とはいえ、現在休校中のこの小学校
となりには中学校があり生徒の元気な声が聞こえてくる。
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突然児童が表れてきても全くおかしくない雰囲気
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また開校にならないかなぁ~と!!!
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隣には高校もあるし!!
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昭和47年下八川小学校に統合



地元の方に話を聞くと「マンションの場所に学校があった!」との事。
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いろいろと山道を走ったが、ここだったのか!!!!!!!
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在りし日の津賀才小学校
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(いの町史より)
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石碑もある
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さすがに地元の人に、これは撤去出来ないだろう!!!
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学校横の商店
私が小学校に入る前、そう丁度この小学校が統合される頃、ファンタを飲んで、子供心に超美味しい!!!思った事をはっきりと覚えていいる。
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194号線を少し逸れて、「日々原」に入る。
と言っても、旧194号線に入っただけの事。
また、この地理院地図のタイトルそのものが「日々原」。

そして右側は旧194号線の名残りのようだ。
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では、この道はあとから旧194号と繋げたものになるのだろうか。
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バイパスの下の旧194号跡らしきトンネル。
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日々原のメインストリートに入る。
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この昭和チックがいい!!
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川沿いの旅館!!
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●昭和47年の「日比原」





メインストリートは続く!!
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昭和5年架設の
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日々原橋
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食料品店と衣料品店がある。
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ここも当時は清水第一小学校の児童、生徒で賑わっていた事だろう。
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また改めて来てみたい!!
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上西小学校が廃止され、昭和26年4月、上八川村、清水(きよみず)村、小川(こがわ)村、三村組合立三水小学校が開設されるが、それは「上西小学校」に至近の地理的距離にありながら、それぞれ村が違うから児童を通わす事が出来ない、という問題を解決するためだったそうだ。

なるほど、これでは、清水村の大野部落、小川村成川部落の児童にとっては、すぐ近くに小学校があるのに、「村」が違うから、という事になってしまう。

明治以降のそれぞれの地区の学校開設の費用は、そのほとんどが地元負担が「常識」だったそうなので、地元の学校に費用を出し、隣の村の学校に行く、という話も変な話だし、当時の地元の学校開設の費用の地元住民の負担額は、その時の税金の数倍、もしくは10倍以上になった事もあり、相当揉めたという話もあるので、なかなか単純な話にはならなかったのだろう。
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(地理院地図 日々原 昭和22年発行に記入)

また、これを見ると、初代大森隧道は、最初は単純に清水村と本川村を道路で繋ぐために当時の人々が頑張って作ったものに感じるし、この時は国道194号線の原型すら出来ていない。


三水小学校の近くで地元の方に話を聞き、大体の場所を聞くが、もうかなり昔の話で、そこまで行って、近所の人に聞くしかない、との事!!
(まあ、そりゃそうだ・・・・)

集会所があるから、この辺りかな・・
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目安箱もある
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そして近くに地元の方がいて、親切に教えてくれた。
上西小学校跡は、この道を作る時にかなり削られたそうだ。
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そして、その前は、少し隣にあったとの事。
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道路左側はまだ学校跡の土地が残っているらしいので、冬場に行ってみると何か見つける事が出来るかもしれない。
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大体こんな感じかな!!!
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194号線からこの発電所の方向に入る。
この発電所は戦時中に作られたそうで、車のエンジンとは比較にならないバカでかいものがグルングルン回っているので、1/10000㎜の誤差も許さない精密な造りになっている。まあそれは当然の事で、どこの発電所でも同じ事なのだが、それを現在のように金属の足場が無い時代に木組みで作り上げたというのは凄い、というか現代人にそれを再現するのは、、、、うーん、まあ、やったら出来るだろう・・・!!!
何故なら、それはパクリの技術ではなく、現在の技術を確立するために、過去に歩いてきた道のりでの出来事だった訳だから。

それを考えると、当時の林用軌道の橋を木で造り、その上を重い木材を載せた列車を走らせるなんてのは、当時の人々にとっては、特に難しい事だった訳でもなかったのだろう。

日本の工業製品が世界的にも優秀なのは、世界基準は円周率を16桁まで計算して作るところを、日本は17桁まで計算して作っているからという話を聞いた事があるが、一事が万事、日本人のこだわりというのは世界的にレベルが高い。

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ここにも昭和の風景が残っている
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ここを右に曲がると三水小学校

三水とは、清水村、上八川村、小川村(こがわ)の三つの村を水に例えているとの事。
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平屋建ての校舎はもうない。
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石碑
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裏には学校の歴史が。
上西小学校を廃止して、昭和26年に組合立でここに三水小学校が出来たのは、清水村、上八川村、小川村のそれぞれの村の児童の通学距離の問題を解決するためだったそうだ。
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そして平成13年 上八川小学校に統合
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現在は、集会所、いや防災センターだったかな・・・
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校庭
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プール
橋の名前は「三水橋」  だったと思う・・・
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在りし日の三水小学校
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(いの町史より・平成29年8月30日追加)



うーん、こう見ると成川地区の児童にとって上西小学校はかなり遠かったかな??
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まあそれでも、三水小学校の児童の中には、距離的な問題で、山越えで東谷小学校に通っていたというのは、分かる気がする。
(昭和40年代の航空写真)

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もう少し拡大
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開校は明治16年頃
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到着
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そこは美しい木造校舎だった
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映画のロケ地になるのも頷ける!!
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こちらの門からの景色も美しい!!
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格子窓
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当時のまま
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給食室
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南側
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スロープが付いているのは何でだろうか?
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前には棚田があり
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この風景の昭和、大正、明治、江戸と遡り100年、200年と変わらない風景だと思う。
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道路を挟んでプールが
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そしてこの集落のこの風景も長い間、ほぼこんな感じなのだろう!!
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これはもう重要文化財クラスだ!!!! と真剣に思っている!!!

学校は「母校」と呼ぶように、その属性は「女性」である。
そして人間の女性は時として、歳を重ね「熟女」となる事があるが、学校はいくら歳を重ねても「熟女」になる事は無い。
いつまでも「清楚」で「可憐」な美しい女性のままなのだ!!

と、雨の中、独り言をつぶやきながら帰るのであった!!!!

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開校は明治8年

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旧194号沿いにある
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校庭の遊具
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奥に見える赤い橋は194号線
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少し離れて体育館とプール
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こんな場所に高知市内と同等規模の小学校があるのには驚くが、それは昭和43年産まれの自分にとっての感覚で、当時はこの地域が高知市内と同等以上に栄え、賑わっていたのだ。

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吾北村史によると、明治27年に小川小学校の第四(仏堂)、第五(高樽)分教場が設立され、その二つが明治34年に西谷小学校として独立しているので、東谷小学校は、それ以前の小川小学校の分教場が独立したものと思われる。

また三水小学校の児童(成川地区の児童)の中には距離的な問題で山越えで東谷小学校に通学していた児童もいたそうだ。
昭和26年に三水小学校が開設される前は、成川地区の学校はもっと遠い上西小学校だったので、なおさら多かった事だろう。
また長沢林用軌道が通っていた時代もあったので、今と当時では状況が全く異なっている。
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地元の方、卒業生らしき女性二人が掃除をしていたので、いろいろと話を聞かせて頂いた。
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現在は公民館になっている。
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いろいろと手入れをされているようで、またいろいろと活用されているそうだ。
この中で「カラオケ」も出来るとの事。
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そして駐車場を確保するために
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こっちのほうは壊したらしい。
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正面はサッシ窓だが、裏は当時の格子窓のまま
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学校前の階段「登り」
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「下り」
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学校の下の段のハウスがある場所が、昔の運動場で、その前はそこの校舎があり、その後校舎を今の位置に建てたそうだ。
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その横の建物は教員宿舎
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プールもある
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そして、この奥にある「奥大野」に向かう。
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重機で山を掘削して作った道の中に、
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当時の山道を発見
奥大野からの児童はこの道を通ってきたに違いない。
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今でもしっかりと手入れされている。
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明治27年、小川小学校の第四分教場のあった「仏堂」地区にも民家が数軒。
さらに山道を登ると、開けた場所がある。「奥大野」に到着。
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酒屋さんの看板発見
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岡林酒店
当時はここもジュースとお菓子を買いに来る子供達で賑わっていた事だろう!!
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綺麗な棚田がある
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南側の風景(写りが悪いのが残念)
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ここはもう昔のまんま
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金属のフェンス以外は100年以上同じ風景だと思う。
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ここは昭和、大正、明治、江戸を遡り、人々が仲良く、豊かに、楽しく暮らしてきた場所なんだろうなと、つくずく思う!!
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長沢林用軌道の事もあるし、本川村の殿御舎小学校跡地には奥大野を越えていこうかなと思っている。
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帰り道、東谷小学校には
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街灯がついていた!!
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