「地理院地図・手結・昭和33年」
かつて、自動車道が完備するまで、各山々の集落はそれぞれの山道で密接に繋がっていた。
更に白髪ー宇留志ー久重の間には、赤野川沿いの道が昭和初期に開発されるまで、2m幅の道が主要道として存在していた。
板渕に到着
前回の訪問から6カ月、更に道の状態は悪化しているが、久重からの接続部分の工事は完了している。
●「芸西・板渕ー平成30年3月末訪問」
この下に「板渕地区生活橋」があり、対岸に渡り上尾川西の尾根の上に出られる
橋の認可の日付は平成13年10月
廃村になったのは昭和40年代だが、もしかして15年早く来ていれば、ここでお茶を一杯頂きながら「板渕」の話と、尾根に登る道の話を聞けたかもしれない。
なんて考えたりもしたが、しかし芸西村役場に問い合わせてみると、橋があるのは人が住んでいたからではなく、地籍調査やそれまで行われていた山仕事等の関係者には、今まで橋があった場所に橋が無くなると不便だから、というのが一番の大きな理由だそうだ。
集落を登ると!!
なんと、この板渕にも「宇留志」と同じ「石灯篭」がある!!
当時の美しい光景が浮かんでくる!!!
●芸西・宇留志②「石灯篭とモダンな民家跡ー平成30年4月訪問」
●芸西・集落跡「まとめ」
道は陽当たりの良い南側を耕作地に譲るかのように、尾根の北を走る
(下り方面の写真です)
そして一度、尾根に出会うが横切る事無く、尾根の北を進む
耕作地区域を抜け、二度目の尾根は横切り、進んでいく
が、途中の沢で道を喪失
道が消滅したのか、見失ったのか、上尾川で尾根に向かった時と同じ様に、上に登り、尾根に近づかば近づく程、道の消滅度は高い
また地形的な事を考えると板渕ー上尾川の道は尾根の北ではなく、南を抜けたほうが便利で早いとも思える。
結局、真面目に直進してしまい、かなり高度を上げて尾根に到達。
しかも道は尾根の東に存在していたので、「道」に合流するまで時間が掛かってしまった。
前回、上尾川から尾根に登りマーキングをした区間を抜け、三辻森を目指す
安芸の平野が見渡せる場所に到着
送電線の鉄塔のある場所だ
が、先を急ごう。
日没までにあの板渕に帰らなければいけない。
また、ここからは2時間程もあれば引き返せるが、この先、道に迷た場合の作戦撤退ラインも結構差し迫っている。
そしてこの鉄塔のすぐ先の分岐を右に行ったしまった・・・
三辻森中継所
そしてこの先、進めば進む程道が不明瞭になり、引き返し、先程の分岐を左に行く事にした
道はこっちだった。
尾根の道は、実は天然のものではなく、石垣で築かれた「人工的」な道だったりする
地籍調査のピンクのリボン、そして、白、私のではないブルーのリボンが復活し、充分な確信が発生し、作戦撤退ラインを却下して進む
道は尾根を掘り、切り通しになっている
白髪の集落が近い証拠でもあるだろう
まだ時間的には焦っているが、結構、贅沢な時間を満喫している!!
そして、かつては、ここまで「バイク」で来れた!!
また、白髪経由ではなく、宇留志に直接繋がりそうな分岐の存在も確認
また白髪から宇留志の道の間に、その接続らしき分岐も確認
まあ、肝心の板渕から尾根への道の接続が確認出来ていないのであるが・・・
尾根の切り通しの区間は距離の長く、白髪に近づかば近づく程多くなり、かつてはこの道が勾配を最小限に抑えた非常に歩きやすい道であった事が容易に想像できる。
そしてその工事、造成は、赤野川沿いの道の開発が昭和初期に始まる以前に既に完了していた事にもなる。
もしかして、いや、きっと多分、思い付きや、想像や、期待ではなく、大正、明治以前は、この道を馬や牛や荷台が通り、安芸から上尾川を抜け、羽尾、仲木屋までの流通経路ともなっていた筈だ。
また工事は、「田役」と呼ばれていた住人総出の地域のインフラ整備事業で行われ、地域の子供達とっても、「小学生」と呼ばれる以前の時代から「おにぎりが沢山食べれる」という、大変だけと楽しみのある内容で行われていた。
切り通しの工事で発生した大量の土は当然、耕作地の土となり、更に奥の、尾根の道を造成するための材料として使用された。
左右に耕作地跡が出現し、白髪はすぐそこだ。
ウエルカム to 白髪 という所だろうか!!!
道は、白髪小学校の道を奥に進んだ赤い車を置いている手前に繋がる
目印が沢山つけらている!!
右手が三辻森からの接続で、左が私がこれから進む宇留志への道の目印なのだけど・・・・
ただ、白髪ー宇留志への運搬経路としての正確な道は
そこから耕作地の道を抜け接続するこの掘割の先に進む道だと思う
(でないと牛や馬、荷台は通れない)
(でないと牛や馬、荷台は通れない)
小さな耕作地の石垣を抜け
一つ目の耕作地跡を横切る
二つ目の耕作後を抜けるが、この耕作地は広いため、道が不明瞭となり、後で思いのほか高度を下げている事に気付く
耕作地跡を抜けて、前回同様、尾根を直下し、「道」に合流。
前回撤退したポイントを通過
その先の沢周辺が大きく崩落しているが、その沢の部分にまだ当時の石積みが残っている。
そしてまた、白髪からここまで歩いてきた区間には石積みで2m以上の幅を確保していた区間が多数存在する。
各集落が無人となって半世紀が経ち、利用する人がいなくなってもこの状態という事は、当時は一体どれだけ立派な道であった事か!!
そして赤野川に接続!!!
その地点からは対岸に接続するのは地形的に難しそうなので、少し進むと!!!
対岸に坂道の石垣発見!!!
ここに橋を架け、牛や馬、荷台を通していた事だろう!!
裸足で渡る!!
対岸には道が左右に繋がり、その先には石積みもあり、もうここは完全に宇留志の市街化区域だ。
上部に登る道を進むと
林道に繋がる
接続地点はここ
地理院地図に記載されている通りの
ウルシ谷川橋の場所
またこれは地図の正確性というより、集落と集落を繋ぐ道は必然的にこうなってしまうという事でもあると言える。
その先のカーブミラーの袂に宇留志から白髪に進む道がある
重機で昔の道を拡幅して造成された林道の側面には、宇留志の耕作地跡が見事に剥き出しになっているが、これは耕作地跡を出来るだけ壊さないように上手く工事したのだと思う!!
急いで歩けば、宇留志ー板渕の林道区間は30分程。
上に送電線が見えてくるから、その下が板渕と思って進む。
私はこの反対側から来た男です!!
尾根の鉄塔を過ぎて進路の信頼性を確保できるまで「不安」が一杯で、引き返す決断も必要だと思っていたが、なんとか迷子にならずに帰ってこれた。
所要時間は5時間半。
当時であれば4時間も掛からない道のりだったと思う。
そしてまた、現在の様に各集落が車道で繋がる以前の各山々の集落は、現在の我々が想像する以上に密接に繋がり、人々の交流が活発に行われていた事が、リアルに伝わってくるのである!!!
●高知の学校跡地「まとめ」・後編
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