高知の廃校になったあの小中学校は今!!

大月町・芳ノ沢小学校の校舎(昭和58年廃校・昭和27年築)

カテゴリ: 室戸の学校

先日仕事中にふと手にした新聞紙。
灯油を扱う作業だったので古新聞を持っていたつもりだったが、その一枚だけ持って帰ってきた。
何故なら昨年度の高知の休校廃校に関する記事だったから。

休校廃校2


昨年度もまた3校の小学校が休校廃校となったようだ。

そして室戸の中川内小学校と中学校は廃校となるそうだ。

そして高知県の小学校数は184校。ピーク時には580校程あった学校が1/3以下にまでなってしまった。


休校廃校1
【高知県教育委員会資料より】

2カ月遅れだが、もう殆ど新聞を読まない私にとってこのタイミングでこの記事に出会うのは偶然ではなく必然、だと思っている。

休校廃校3

しかしまさかあの中川内小学校が廃校になるとは!!
しかも中学校も同時に廃校とは
そしてその情報を新聞で見ただけの私には、この学校の廃校について具体的に語れる言葉はまだないが、一つだけきっと多分私にだけしか言えないかもしれないこの学校の歴史に関する事を言わせてもらいたい。

それは半世紀以上前の昭和の時代、この中川内小学校の北西の山の上のこの学校を見下ろす場所に小学校の分校があったという事。
そしてそれは羽根小学校の分校として発足し、後にこの中川内小学校の分校となった「中峯分校」。

羽根小学校の分校として発足しながら本校である羽根小学校より出席率の高かったそんな「中峯分校」!!

分校の開設は昭和24年。そして38年に休校となり40年に廃校。

中峯の集落としては約20年、学校の稼働は14年程で、中川内小学校の分校としては10年の歴史しかないその「中峯」と「中峯分校」ではあるが、それは先の大戦の結果として始まる新しい時代に向けて駆け足で駆け抜けた、決して裕福ではないが希望に満ちたそんな「時間」ではなかったのではないだろか!!

●中峯分校「再訪」
室戸・中峯分校 再訪 : 高知の廃校になったあの小中学校は今!! (livedoor.blog)
●中峯分校「航空写真」
航空写真で捉えた「室戸・中峯分校」!!! : 高知の廃校になったあの小中学校は今!! (livedoor.blog)
●中峯分校
室戸 中峯分校 : 高知の廃校になったあの小中学校は今!! (livedoor.blog)








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学校の廃校は当然、児童数、生徒数の減少に起因する。

では一体、現在、どれくらいの現象が起きているかというと、

例えば室戸市では昭和30年に4663人いた小学生が、現在1/10以下の368人。

室戸の小学生


●室戸市教育委員会
http://www.kochinet.ed.jp/muroto-c/b01m00000012.html



昭和40年代、日本の人口は一億を突破した。

しかし同時に、子供達の数が減り始め、、学校の統廃合が始まり、、、、現在、、、学校のあった場所が老人ホームとなっている。

(現在、人口は1億2千600万人程、、、因みに高知県の人口は70万人切ってます。戦争時時代、日本の人口は1億人程でしたが、それは併合していた台湾と朝鮮を含めていた数で、その後の日本本土の人口は7千万人程でした。)

)

!!!!!
;。



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半年ぶりに長者野に向かう。




五所神社に参拝。
1-1 五所神社


途中、県外ナンバーの車が道を譲ってくれたが里帰りだったのだろうか。
1-2


掃除をしていく。
1-3


半年ぶりの長者野小学校に到着




 
        校舎はもう無い

2-1  校舎はもうない


GW後に解体されたそうだ。

2-2


平成27年から校舎の姿を追いかけてきたが、あっけないもんだ

2-3  金次郎さん跡だろうか


でもまあ、あのままあの校舎を放置しておくのも相当危険だったと思う
2-4GW後に解体となったらしい


鉄棒と階段とラジオ
3-1  鉄棒と階段のラジオ


4年前は講堂のステージの上にあったこのラジオを一体誰がここに移させたのだろう
3-2  講堂のステージにあったラジオを一体誰が



校舎の基礎は建築面積を囲む形のみ
4-1  一階東の教室があったばしょから


当時の学校の造りがこれだから一般住宅はもっと簡易なものだった
4-2  基礎は現在のように内部まであるのではなく、外部のみ

作業をするために中央の石段もスロープに
5-1  跡地より


でもさすがに銀杏の木に手を掛ける訳にはいかなかった
5-2  校舎の前には相変わらず銀杏の木が。


鉄棒の傍に水飲み場みたいなとこがある
7-1  あれだけ訪問した気付かなかったのか、もしかして水飲み場

もしかして今まで見逃していたのか
7-2 掲揚台にも見える

学校前の建物
9-1  校舎前の建物 学校と時代を共にした建築物だろう

校舎と同時期のものだろう
9-2  造りは学校と一緒


中には学校の机があった
9-3  中には学校の机が。 

因みに、この建物の道路側の建物は売店跡らしい。

昔も商店という程のものはなかったが、売店は各所にあったそうだ。
だって児童生徒が130人程もいた時代があった訳だから。

この長者野に130人程の児童生徒のいた時代を知っている者の一体誰が、その半世紀後に学校が廃校になるなんて想像していたどろうか!!

   


長者野のメインストリート
8-2  今でもポストのある場所にはそれぞれそれ相応の理由がある

今でも学校跡から朴ノ木方面にも住人はいて、この学校周辺にも数人住んでいる。

また時々ここに帰ってくる人もいて、まだしばらくは無人になる事はないが、10年先は、いや数年先は本当にどうなっているか分からない。

と、話てくれた方も長者野中学校を卒業し都会に働きに出掛け、時々故郷の長者野に帰ってきている、と話てくれた。

中学校の卒業生の殆どが地元を離れ都会に就職する時代の中でも、まさかその後、自分の卒業した学校が廃校になり故郷そのものが集落としての限界を超える事になるとは、まあ誰も想像しないだろう。

ましてや最近の新興住宅時の様な歴史の浅い土地ではなく、源平合戦から800年 平家の落人の末裔の暮らす歴史の深い長者野でそんな事が起きるなんて。




この長者野のポストも最近 現役を引退したばかり。
8-1  長者野のメインストリート 何故ここにポストがあるか

そして、そもそも郵便屋さんにも便利な学校に接続する車道側ではなく、何故 学校の奥の民家の道沿いにポストがあるかというと・・・



それは

【地理院地図「奈半利」・明治43年】 ・長者野小学校の開設は明治12年だが、まだ地図に記載されていない。
1-5




現在の川沿いを走る車道は最近作られたもので、それまでの道は学校の西、集落の真ん中を走っていたから。

だから当然、郵便ポストは長者野のメインストリートに設置されていた訳だ。


時代が流れ表情の変わった町で、郵便ポストの場所を見る事で、その町の歴史を少し垣間見る事が出来る。

●地理院地図「奈半利」昭和40年代
4-2  長者野アップ



道は長者野の屋敷の西を通っている。これがポストのある道かどうかはわからないが、道は明治時代に発展した長者野の産業・炭焼き、を運ぶ荷台が、牛や馬が荷台を引いて通れる程の幅で、地形的に考えて、その後、自動車が通れる道に転用するには厳しいものだった。
長者野の人々の本家は朴ノ木に多いと聞いているが、ここから先の道が細くなっているのが気になるが、実はこれ「細くなっている」のではなく、長者野から吉良川に向けての道が改良された、という事だろう。

当然、その理由は明治時代に発展した「炭焼き」で、この長者野の屋敷を起点にして吉良川に「炭」が出荷され、それを受けた親方がそれを室戸まで運び大阪まで船で売りに行っていた。
そして当然「炭焼き」の現金収入は親方が大阪から帰ってきてからになる訳で、その様な時代があったため、長者野のガス料理集金は盆暮れ二回の習慣が今でも残っている。
長者野小学校の開設は明治12年で、明治43年の地図にも反映はされてないが、炭焼きの発展に伴い地形的に便利な場所が炭焼き産業の施設の建てられる場所となり、同時に「学校」も建てられる場所にもなる。

































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平成最後の長者野小学校。
出来れば桜の舞い散るタイミングで訪問したかったが、ちょっと遅かった。


1-1 校門から 桜は散っている


もう校舎の東側は崩壊している
2-1

2-2

3

4


もともとは僻地集会所(体育館)のステージにあったこのラジオ。
一体誰がここに置いたのだろう!!
5 もともとは僻地集会所のステージ

鉄棒
6 鉄棒


そしてこれがこの校舎を見る最後の機会になろうとは・・・・・!!!




●『地理院地図「奈半利」・明治43年』
1-1 奈半利 明治40-43



●長者野周辺アップ
1-3  長者野アップ

長者野小学校(当時は分校)明治12年に開設されたが、この時はまだ地図には反映されていない。
「長者」さんの屋敷が大きく記載されている。
また当時の道は現在の場所ではなく屋敷の西を通っていたようだ。
古矢の五所神社の手前の橋はまだ作られていない。

●日南周辺アップ
1-4  日南アップ


日南小学校(当時は分校)は既に地図に反映されている。

今でもそうだが、長者野のより日南のほうが人口が多く開けた場所だったようだ。



現在は室戸市であるこの地域も当時は吉良川村だった。
吉良川から長者野の奥、日南の奥までとは、明治時代にしてはとても大きな「村」である。
明治時代に始まりこの地域の産業となり大阪まで売りに行っていた「炭焼き」がこの地域を一つの村にしたのだろうか。

そしてそれ以前の時代は吉良川村とはまた別の村であった(らしい)と室戸市史に書かれているが、それ以上は今のとこ調べる事は出来ない。









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学校の卒業式も終わり今年も長者野小学校に向かう

まずは五所神社に参拝
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学校に児童生徒の姿があった頃はここにも新入生の親子の姿があった事だろう
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そして学校に到着

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去年の3月28日に訪問した時は桜の花が満開だったが今年はつぼみが膨らみ始めた時期に訪問

昭和27年に建設され昭和53年に廃校になった長者野小中学校校舎
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体育館の正式名称は僻地集会所
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校舎の東側が崩壊したのは去年の夏の事
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まだ当時のラジオが残っている。最初は講堂のステージの上にあったのに一体だれが移動させたのだろ。
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鉄棒
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児童生徒の姿が消え40年


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私が最初の訪問したのは平成27年8月29日

その時はまだこんな姿だった
●平成27年8月29日
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銀杏の木に守られていた校舎もその二年後には屋根の崩壊が始まる事になる

●平成29年9月28日
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確かその後、天候が荒れたため校舎が気になりすぐに再訪したのを覚えている

●平成29年10月25日
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そして銀杏の葉も落ち

●平成30年1月20日
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しかし細部の崩壊は始まっている
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そして再び銀杏の葉が色づく頃には校舎の東側の崩壊が始まり

●平成30年6月13日
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そして崩壊

●平成30年8月30日
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銀杏の葉も落ち

●平成31年1月6日
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それでも校舎は建ち続けている
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昭和から平成、そして5月に迎える新しい元号の時代、三世代に渡って建ち続けようとする長者野小中学校校舎

●平成31年3月22日
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校舎を後にし帰路につく

そしてその直後に今までにあり得なかった光景に遭遇する

それはこの長者野に向かって自転車に乗り楽しそうに進む10人程の中学生の集団とすれ違った事

きっと、多分、彼らはこの長者野小学校校舎を見に来たに違いない


「この奥の長者野に昔の小学校の木造校舎があるらしいぜ、行ってみよう!!」
ってなったに違いない・・・!!!

廃校になり40年以上が経過し崩壊直前を迎えたあの校舎に向かう(だろう・・)あの中学生の集団から、この日本の未来を担う新しく逞しいエネルギーを感じたのは気のせいではない。

日本の新しい時代の幕開けは近い!!



●長者野小中学校 平成27年8月29日~平成31年1月6日の記録


●高知の学校跡地まとめ




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五所神社に初詣
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そして学校の校舎に向かう


去年の春、形を留めていた校舎も
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遂に本格的な崩壊が始まっている
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銀杏の葉も完全に落ちて
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屋根も崩壊しているから時間の問題
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校舎が完成したのは昭和27年

もう充分に役目は果たした

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校舎の西の僻地集会所
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床は完全に抜け落ちているが
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それでもこの格子窓からの景色は当時の思い出を彷彿させるには充分だろう

でもその時間もあともうほんの少しだけ

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校舎と僻地集会所はまだ屋根で繋がっている
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そこになんと卓球部が!!!
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正面から見ると、なんとか建っているように見える校舎も、裏から見ればもう限界を越している

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そしてそれでもまだなお、一階の教室には入る事が出来る
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さすがにもう伝言板の更新はされていない
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この格子窓からの景色も本当に本当にこれが最後かもしれない・・

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長者野のメインストリート
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あれから屋敷の木部の手入れをしたようだ

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そういえば僻地集会所のステージにあったラジオは

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いつの間にかここまで移動している

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清水さんの寄贈
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校舎の雨樋受けの金具

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今まで気づかなかったが、校舎の東にも小さな建物がある

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もう完全に崩壊しているが

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教室の北の通路を東に行くと
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トイレがあった
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運動場からは軽い手押しの扉で
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友達にわざとぶち当てるように開いたり
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それを軽くかわして、ギリギリですり抜けて行ったり!!





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実は10月に入って室戸には既に3回行ってきました。

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そのうちの2回は自転車で!

はりまや橋から5時間半程の距離ではあったのですが。

ママチャリではなくギヤ付きのスポーツ車であれば余裕で4時間台で行けると思うし、逆に向かい風の場合はかなり時間が掛かると思うし、ま、実際のところ個人差があってあまり参考にならない数字だと思うのですが・・・・


そして目的地は「室津八幡宮」

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勿論バイクで行く事も多いけれど

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それでもわざわざこの神社に来る理由は

ここは私の神様のいる神社だから

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教員の息子であった私は保育園時代はこの室戸市室津原池で過ごしました

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住んでいたのはこの神社の下の教員住宅

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当時はこの室戸にも「ボウリング場」のあった時代の頃の話です。

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そして四国に台風の接近してた10月6日

時間が空いたので、その後の長者野小学校の校舎が気になり気が付けば室戸に向かっていた。(バイクで・笑)

しかし、その後の強風、突風の中でも長者野小学校の校舎には特に変わりはないようだ。

そして吉良川を東に高知に帰ろうとも思ったが、気が付けば「室津八幡宮」に到着!!

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しめ縄が新しくなり、いつもと雰囲気が違う

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どうやら今日は室津八幡宮の秋祭りのようだ

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室戸高校軽音楽部のリハーサル
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いつもは人影すらないこの神社の境内が、活気に溢れている
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すぐこの下の段の教員住宅に住んでながら具体的な記憶はないけれど、40年以上ぶりの室津八幡宮の秋祭り

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私は部外者ではなく、保育園時代をここで過ごした元地元民!!

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●祭りの様子


【河内太刀踊り】




【室戸高校軽音楽部】



【よさこい踊り】



【河内太刀踊り2⃣】



【馬子唄】





過ごしたのは保育園時代なので、この祭りに関しての具体的な記憶はないが、確か獅子舞が来て頭をカチカチされて泣きまくっていたような・・・・記憶がある。

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神社の西の建物も今日は出演者の控室

そしてその後の打ち上げの会場にもなりそうだ!!

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そして何故、この室津八幡宮が私の神様のいる神社であるからというと、ただ保育園時代にこの下の段の教員住宅に住んでいたからというだけではなく、私がまだハイハイもしていない赤ん坊時代にこの神社の神様に護って貰っていた事があるから。


私が赤ん坊の頃、当時この原池には「スイング」という喫茶店があり(現在のJAの角のとこ)、私を寝かせた母は時々そこに時々お茶をしに行ってました。

当時はのどかな時代ですから、鍵も掛けずに風通しのために窓も開けたまま20分~30分程の外出だったでしょうか。

そして帰ってきた母は、寝ている私の姿を見てビックリ!!!


なんと私の布団の上のお腹の上の場所にマムシがとぐろを巻いて構えていたのです。

驚いた母の姿を見てマムシは帰っていきましたが、つまりこれは一体どういう事かと言うと、母親が外出中の赤ん坊である私の安全を、マムシがそのお腹の上に乗って毒牙を構えてとぐろを巻き護ってくれていたという事です。


そして赤ん坊の母親が帰ってきた事を確認したマムシは、安心して帰っていったいう事でしょう。

神様がマムシの姿をして私を護っていてくれたのか、神様であるマムシが私を護っていてくれたのかは分かりませんが、この室津八幡宮は私の神様のいる場所なのです。


そしてまた私が保育園の年長組になった頃、
(当時は保育園の行きも帰りも親の送り迎えの必要の無い時代でした)
帰り道で突然の出現にビックリして足を滑らせ溝に落ちて顎を強打し乳歯の殆どが抜けてしまったのも、また蛇の神様の仕業。

乳歯の殆どが抜けてしまった事だけを考えると大変な事かもしれませんが、現在半世紀程生きてきて、前歯一本だけは差し歯になってますが、それ以外の歯は虫歯一本も無く素晴らしく健康で歯並びの良い歯でいられるのも、また蛇の神様のおかげ。


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室津八幡宮のお祭りも終わり室戸の港方面に向かうと、こちらでもお祭りが始まっていた。

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【港のほうでもお祭り】




帰り道

更に今日は吉良川でも秋祭りの日だった
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当然、ここも本祭は明日だろう

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この素晴らしい歴史、伝統、文化を未来の日本に繋げていきたい。





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平成27年10月に訪問した「三高中学校」
(昭和44年、椎名中学校と統合し室戸東中学校)


そして同敷地にある三高小学校も翌年の平成28年3月で閉校になると地元の方に教えて貰っていた。
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再訪問したのは平成30年6月13日

【平成30年6月13日】
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●平成27年10月
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運動場には体育の白線の跡があった
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運動場は

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閉校から2回目の夏を迎えようとする




そして

【平成30年6月13日】

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土俵周りは
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このまま風化していく運命にあるのだろうか・・・



学校の焼却炉

今でこそ諸事情で「可燃物」は全てゴミ袋に詰めて出しているが、昔は敷地内の「焼却炉」で係の生徒が焼却していた。

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そして如何にして自分が「効率良く」ゴミを燃やす事が出来るか、腕の見せ所であったし、「火」というものが現在よりずっと日常生活の身近な場所にあった。

そんな児童生徒にとって有益な「課外授業」もいつの間にか無くなってしまった。


時計は外したのだろうか・・
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放送室
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昭和40年代に一億人を突破した日本の人口は現在1億2千7百万人となったが、学校の数は半部になってしまった。
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つまり「ふざけて」放送した奴がいたから「ふざけずに」!!

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この校舎が完成したのは
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きっと昭和44年(石碑の文字から)

児童数の増加による三高中学校と椎名中学校の統合による室戸東中学校の開設と、この三高小学校の新校舎は、これからのこの地域の発展の象徴でもあったはず。

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開校100年は

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昭和52年

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明治9年(1877年)から平成28年(2016年)の139年間の歴史



校庭
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奥にプールと土俵がある
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土俵
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ここの同敷地にあった「三高中学校」は、昭和44年「椎名中学校」と統合し「室戸東中学校」となる。
しかしそれは現在の学校の休校廃校が進む「平成の時代」の児童生徒減少に対する「対策」ではなく、増え続ける生徒に対しての「統合」であった。

当時は生徒が増えて統合、校舎が完成するまで、この小学校のこの石垣の上あたりに

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プレハブの校舎(教室)が3つ程あったそうだ

しかしその室戸東中学校も平成23年に廃校。
現在「室戸ジオパーク」となっている。



道路の反対には
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三高保育所
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しばらくこの地域では、多くの元気な子供達の姿で賑わうという、ほんのごく僅か前まで当たり前だった光景はなくなるようだ。


バス停はまだ学校前
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学校のホームページは現在でもネット上に存在していた


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平成21年度の児童数は24人
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実は昭和40年代の「室戸」には「ボーリング場」があり「映画館」があり、平成30年現在とは全く真逆の時代であった。

それが現在では「寿司屋」どころか「ラーメン屋」さえ無い街になってしまった。

(港の豚太郎は休業から廃業)

しかしそれでも、その後時代の流れが変わり、人口減、過疎化、児童数減少があっても、まさか学校ごと無くなる事は何処の誰も全く予想すら出来ていなかった筈である。

そして子供を育てる環境として絶対に必要な「小学校」という環境を失ってしまった「地域」の未来の発展は現時点では望む事が出来ない。

でもまあ、これから30年先、50年先にはまた「全く新しい展開」が待ち受けていると考えたほうがより正確な認識と言えるだろう。


何故なら現在の休校廃校の流れの最大の原因は、当時から「交通手段」が全く変わってしまった、という事にある。

人々が歩いて移動していた時代から、道路を自動車で移動する時代へと「激変」してしまった訳だから当然と言えば当然の話である。

そして現在のアスファルトの道路の上を動力装置を使ってタイヤを回転させる「自動車」の時代から、また次の時代に移れば状況は一変する可能性すらある。



また日本人が「お皿にしつこ油汚れ」の付く食事をするようになったのは長い歴史の中では「ほんのごく最近」の話でまた、有史以来全く存在していなかった新しい展開。

ごく最近まで「食料自給率100%」だったこの日本が、食料の半分以上を「輸入」に頼るような時代を迎えてしまっている訳だし、最近流行りの「肉食」を支える外国から輸入される「肉」は、実はその量の「肉」を生産する為に「その数倍の量の穀物」を必要とするもので、現在の日本人が本来の食文化には馴染みの薄かった「肉食」を取り入れてしまっている現状は、実は日本人本来の産業である「農業・漁業」まで衰退させ潜在的な国力を低下させ、自国の食料自給率を低下させてまで、外国の「農業」「畜産業」に貢献してるいる状況。


そしてその事によって日本の美しい山々の田園風景は失われ、今まで絶対にあり得なかった出来事、事件、事故が発生し、また病気、社会現象まで出現している。


確かに得た物も多かったが失った物も非常に多かった。


社会構造が激変したてしまったから社会環境も激変してしまったのは当然。

問題は、では現在の日本の状況がその歴史の積み重ねの先にある「あるべき姿」であるかどうか。

間違った方向に進んでしまっていれば修正、補正すべきで、それが出来なければ、学校の休校廃校も単なる一過性のものではなく「衰退一直線」の一つの段階に過ぎないものになってしまう。

過疎化で衰退していく地域の20年後、30年後の新しい展開、現在の子供達、次の世代の日本人、未来の日本人の為に、現在の日本人がやらなくてはいけない事は沢山ある。


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●高知の学校跡地まとめ・後編
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長者野の神社「五所神社」に参拝してから「長者野小中学校」に向かう。

当時は140人程の児童生徒がいて、ここでの夏祭りも盛大で楽しいものだった。

そして当時は二人で一緒に通れた御神木の間も、今では一人でしか通れなくなっている。
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当然 掃除をしてきた!!


桜の季節の長者野小学校・平成30年3月28日
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そして現在は銀杏の季節・平成30年6月13日
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この長者野の人々は物部の仙頭からの人々でもあるそうだ

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屋根が陥落
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校舎を雨風から守るかのようにそびえたつ銀杏の木
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この銀杏の葉が色づく頃は
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一体どんな姿になっているだろうか
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もう完全に後ろが見える
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この体育館も時間の問題 
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児童生徒が140人程の頃は、当然先生も多くいて、教員住宅は校舎の後ろだけではなく周辺に5軒程はあったそうだ

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大地主の長者の住む地域だから長者野と呼ばれていた
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長者野本町一丁目
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この漆喰の黒いのは、汚れではない

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戦時中、空襲の標的になるのを避けるために、目立つ漆喰の白を、墨(炭かも)で黒く塗りつぶしたもの

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それが現在になって墨が落ち、元々の漆喰の部分が元通りになっているだけ
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「吉良川の街並み」は素晴らしいが、この「長者野の街並み」も素晴らしい

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そして実際に吉良川の小学生がわざわざこの長者野のお屋敷を見に来る事もあるそうだ



またこの城壁は「長者の住む屋敷」だから、と聞いていたが、今回は「風が強い場所」だからと教えて貰った。

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どちらも正解で、風の強い高台の一等地にこれ程の城壁を築き屋敷を構える事の出来る長者が住んでいたという話である。

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この長者野はこの時期が(6月13日現在)田植えの季節。

吉良川と比べて気温が2~3度は違うし、気候も吉良川が晴れていても長者野は雨、はよくある話。

稲作は地元産業であった炭焼きの後に始まったそうだが

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その田んぼも激減

沢山いた雀も、激減したそうだ。
(田んぼの泥がないから巣が作れない)


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●高知の学校跡地まとめ・後編
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平成27年8月29日に訪問した長者野小学校
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平成29年9月28日
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平成29年10月25日
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●長者野小学校1「平成27年8月29日」

●長者野小学校2「平成29年9月28日」

●長者野小学校3「平成29年10月25日」

●長者野小学校4「平成30年1月20日」

●長者野小学校5「平成30年3月28日」

●長者野小学校6「平成30年6月13日」

●長者野小学校7「平成30年8月30日」

●長者野小学校8「平成31年1月6日」



●池山池
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●中峯分校跡再訪
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