この沖の島の学校にはプールはない。ましてや鵜来島小学校なんかには。
何故なら、学校の水泳の授業にプールなんか作られても、そこは退屈で窮屈な場所で、迷惑以外のなにものでもないから。
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そして、この海は、子供達も含めた地元の人にとっては危険も安全も知り尽くした楽しい場所。

でもそんな場所に都会育ちのプールで泳いだ事しかない人が来れば話が変わってくるのは当然の事。
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でも一昔前までは、全国津々浦々、各地に小学校があり、海や川で皆が泳いでいたので、全く問題はなかったのであるが、急激に過疎化、学校の廃校進み、都市部に人口が集中し、プールでしか泳いだ事のない人が急激に増え、更にまともな根拠も無く、「危ないから」という理由で飛び込みを禁止した劣化した水泳の授業で日本全国の子供達の泳力が著しく低下したのが、最近の夏場の悲惨な水難事故の原因である。

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そもそも、何故学校で水泳の授業が始まり、プールまで作られるようになったかというと、子供達に「自分で自分の命を守る術」を教えるためである。

そのきっかけとなったのが昭和30年前後の瀬戸内海での「紫雲丸事故」。

多くの修学旅行生を載せた「紫雲丸」が沈没し、泳げない多くの児童生徒が命を落とす事になった。

その事がきっかけとなり、全国的に小学校にもプールを造り、水泳の授業を、という動きが活発になり、昭和30年代から学校にプールが作られ、水泳の授業が行われるようになっていったのである。

そしてそれが現在、全く何時、何処で、何を勘違いしたのか分からないが、子供達が自分で自分の命を守る術を身に付けるための水泳の授業が、飛び込みを禁止し、ゆっくりと安全に水の中に入り、静止した水の中をゴーグルを付けて、無理せずに25m泳ぐだけのお遊戯に成り下がってしまった。

ましてや過疎化で都市部に集中し海や川で泳ぐ機会の殆ど無い現在の日本人。

そんな状態で突然、海や川に泳ぎに行っても、本来であれば安全で楽しい場所も、そうではなくなってしまう事もあるのである。

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でも、その様な事は日本の長い歴史の中のごく僅かな時間の異変。

そうなってしまった事を単純に悲観するのではなく、本来のあるべき姿に戻せるように努力していこう。



うどの浜を後にし、弘瀬地区に戻ってきた。
船の時間まで散策しよう。
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弘瀬地区のお店
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久しぶりの昼間からのビール

最高に美味い!!
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ポストと公衆電話
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バスも走っているようだ
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この弘瀬地区は青い屋根が多い
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正確には塗り替えた訳で、特に具体的な理由はなく、流行りだそうだ!!
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カラフルな街並み
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船の手入れをやっているぐらいだから、家の塗り替えぐらいは楽勝だろう
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弘瀬地区のメイン階段
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ブルー
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ブルー
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家を解体した後も、瓦は他の家のスペア瓦として保管されているようだ
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だからこのような屋根も点在する
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石垣を動かして水道管を埋設する訳にもいかないから、水道管は剥き出しのまま
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石垣と階段  明日のお祭りの準備も進んでいるみたい
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メイン階段
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孤島の太陽
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青の瓦のスペア
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エメラルドグリーンの家
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配管はすべてこんな感じ
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ここから妹背山へは集落内を通過して登る
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妹背山へ
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ここにもエメラルドグリーンの家
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グリーンの屋根
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逆におしゃれだ
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島民の結束は硬い
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もしかして赤い屋根が流行っていた時期があったのかもしれない
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その後にブルーの時代がやってきたのか
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お祭り準備のお疲れ会の準備がされている
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沖の島、近いうちに、また行ってみる事にしよう。