枯井谷への吊り橋
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平成4年の日付ようだが現状ではもう渡れそうにない
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本当はサイドもワイヤーを掴みながら蟹歩きで渡るつもりだったが手が届かないので長靴を脱いで川を渡る事にする
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平成4年竣工の橋は、実は先代の橋の土台の上に作られている
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ではこの土台が一体いつからあったか
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現在、畑山には安芸川沿いの県道を使って行くが、その県道は戦後に作られたもので、それ以前は川沿いに道すらなかった。
枯井谷から西の安芸川に向かう小道はあったが、吊り橋が出来たのもどうやら戦後、県道が出来てからのようだ。

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吊り橋が出来る以前の、川に降り、川を渡るために作られた道のようなものもあるが、長い歴史の中においては、そうあまり頻繁に使用されていた道ではないようだ。

というのも、以前の畑山ー栃ノ木の往還の道は枯井谷を通る山道だったから
・地理院地図昭和11年・
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当然、この頃、安芸川沿いの道は無かった。

だからこの吊り橋を渡るルートはかつての往来の道ではなく県道が畑山に抜けた後に接続された道という事になる

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道の状態は良好で森林軌道跡を思わせる区間もあるが、それは途中までで、それ以降は完全に道が消滅している状態。

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陽当たりの良い場所には耕作地跡があり、その周辺には一時的に石垣の道が少しだけ現れるが杣道らしきものさえ全くない。

平成4年に枯井谷への吊り橋が新しくなった事から、枯井谷へは普通に「道」を歩いて到着出来るのではと思っていたが・・・

ただ言えるのは、この道は現在地図上では県道からの接続がありメインルートのように思えるが、それは県道が出来て吊り橋が掛けられたからこその話で、もともとは生活道というより隣の集落に行くための道の一つであったという事だろう。

道なき道を進むとやっと陽当たりの良い一帯が見えてきて枯井谷の「神様」がいる。
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石段
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この付近からやっと杣道らしきものがあり、
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道なりに進む
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枯井谷に到着
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冬の陽の低い時期にも陽当たりの良い生活に適した場所だ
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でも吊り橋が平成4年に新しくされたという事とは対照的で、昭和の時代に人が住まなくなって相当の時間が経っているというイメージだ

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送電の部品だ

もしかしてここ枯井谷には電気が来ていたのか・・・・
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遠くに仮設トイレが見える

どうやら車道の接続があるらしい
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集落には、その「道」から行ってみる事にして、ここにきて非常に状態の良い道が出現したのでその先を確認して帰る事に。

集落の東の開けた場所に広い石垣の耕作地跡を確認。



そして林道仲木屋畑山線から、枯井谷、そして藤ノ谷の事を調べてみる事にする
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が、林道の造成で完全に山の形が変わってしまっている部分も多く手がかりになるようなものは無かった。

藤ノ谷はこの広くなった場所の建てられた事務所の南側っぽいが・・・
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でも、聞いてみると「道なら、あの辺りと、あそこな辺にあったで!」という展開になったりして・・・


帰りに畑山に寄ってみる

各地に明かりが見えるが、その殆どが「街灯」という状態。

そしてそれども「水口神社」にはしっかりと明かりが灯されている。
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そして「枯井谷」で検索してみると、なぜだか平成20年の安芸の地区別人口と世帯数がヒットした。

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既に昭和の時代に集団移転で無人になったはずの「正藤」「中ノ川」の文字さえ記載されている。

そしてその中には「枯井谷」も文字も。

昭和の時代にとっくに無人になったらしい「枯井谷」

平成へと時代が変わり時が流れ、例えそこに誰も住んでいなくても、昭和の時代を生きた安芸の人々にとっては「枯井谷」は理屈抜きで「枯井谷」なんだろう。

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