「椎山」
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椎山へは寺内の北の橋を渡った左手から入る

いきなり入り口から土砂崩れ
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左側から土佐ジローの鳴き声を聞きながら進む

この先に川を渡る橋があるそうだが・・・・・
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台風で山崩れがあったそうで

その橋は倒木の下
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倒木を乗り越えながら先に進む

倒木の下には道があり、川沿いには道の石垣が確認出来る

倒木の区間は限定的ですぐに終わるが、この先この倒木が撤去され、道が復旧される事が有るのか無いのか、それ以前にその必要が有るのか無いのか・・・。

多くの人々にとっては、もうその場所、地名さえも知らない場所での出来事ではあるのだが、現地を訪れた私にとってはとても他人事とは思えないのである。

何故ならそこはだれかの「ふるさと」だから。

沢を渡り、再び沢の右手に
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沢を渡ったものの対岸には石垣のあるかつての道が並走している

どうや今自分が歩いている道は、本来の「道」に派生した「山道」のようだ。
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そして人が歩く事によって踏み固められ「道」となった「山道」は、再び土木工事により造成された石垣の「道」に合流する。
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石垣の耕作地が出現

椎山はすぐそこだ
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椎山に到着

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もう人が住まなくなって半世紀以上になるらしい
昭和40年代の地図には4軒の民家が確認出来る
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かつては「天空の里」が大自然と同化しようとしている。

がしかし、奥に民家跡が見える!!
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築100年と言っても、当たらずとも遠からず、だろう!!


しかし、ここは石ではなくコンクリート
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昔ながらの構造
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瓦の刻印
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一段下に小屋がある
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集落の小道を歩くと
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石段を上がり
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民家跡がある

3軒ほど並んでいたのかもしれない
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ダイドーのコーヒー
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ポット
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ヤカン

ガスではなく薪で沸かしていた事だろう

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と言いつつ、ガスボンベもあったりするが、しかしこの「椎山」で生活していた者にとっては、下からガスボンベを運んでるより、自分で火を起こして薪で沸かしたほうが手っ取り早かったはずだ。



歴史的な価値は高い
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かつてこの土地を耕した者達の遺構
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さらにその上に石段があり
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椎山の神様がいる
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近くには墓地があり
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ごく最近、お墓詣りに来られていたようだ
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そこから更に山手に進むと石垣があり水脈がある
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ここしばらく雨は降っていないが、植林に囲まれた状況で水は枯れていない

この椎山では水に困る事はあまり無かったのではと想像する

いや、だからこそ椎山が椎山であり続けたという事だろう。



かつての「天空の里・椎山」を後にする


帰りはこの石垣の道を行ってみよう。
もしかして、椎山の南にある小高い場所の耕作地跡、民家跡に辿り着けるかもしれない
「地理院地図 昭和11年発行」
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もう地図にも載っていない椎山からの先の道は
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石垣の道だった
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しかもその先には橋の跡が
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これは林用軌道の橋の架台に匹敵する
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片方は崩壊してしまっているが、この環境、状況の中で、この状態で現存している事が凄い

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そしてこの事で分かる事が多くある

まずここは山の谷の部分はなく、そして沢でもなく「川」であったという事。

そして往路でここまで歩いてきた道は、この「橋」を通る「道」に派生する山道で、かつての椎山への道は倒木を乗り越えた後に沢を渡った道ではなく、渡らずに対岸に続いていた石垣造りの道であったという事。

そして勾配のきつい近道にもなる「道」から派生した「山道」ではなく本来の道は、勾配もゆるく巾も充分に確保されており、それは牛や馬が歩けるように、大きな荷物も運べるように設計されていて、もしかして椎山から自転車で畑山に行けていたかもしれないし、郵便屋さんはカブでこの道を通って椎山に郵便物を届けていたかもしれない!!という事。


また、ここが川でなくなった理由は、原生林から植林となり山の保水力が一気に低下し、更に大雨では大量の雨水が一気に流れる事となり橋台の片側を崩壊させ周辺の地形まで変えてしまったという事。



残念ながら南の小高い場所の耕作地跡に繋がる道は発見できなかった・・!!




倒木区間に到着
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帰りは反対側を通る事にする

すると
しっかりと道が踏み固められていた
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これからはこの道が椎山への道となるのだろうか!!




帰りに畑山に寄ってみる
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水口神社の歴史は800年を超える
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そう、この畑山の歴史は800年を超える非常に長いもので

過疎化、廃村、休校、廃校等という事はそれ一つを見れば我々には出来れば避けたいネガティブな要素を含んだ出来事で、100年生きる事の殆どない人間にとっては絶望的とも言える出来事になってしまうかもしれないが、悠久の長い歴史の中の大きな流れの中では、普通に有りがちな必然の出来事なのかもしれない。

だからこそ、地方自治体、行政がどの様な手を打っても止める事の出来ない時代の流れなのだろう。


もしかして廃村、廃校に対する感情というものは満開になった桜の花が散るのを惜しむ気持ちに似ているかもしれない。

ただ花の場合は毎年その一部始終を見る事が出来るが、集落や学校というものは人間の人生に対して、そのサイクルが数倍以上あるため一部始終を確認する事が出来ず、その起承転結の局面しか見る事が出来ず、内容が内容なだけに素直に受け入れる事は難しとは思うのだが。



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