明星中学校の名前は南に明星ヶ森があるからだろうと思う。
郵便局の横が大川筋中学校
北の神社の横が明星中学校のあった場所
正確には明星中学校の一階は川登小学校で2階が明星中学校
そして昭和41年に中学校が新築移転して大川筋中学校となったで、
地図の北の学校は移転前の川登小学校という事になる。
・明星中学校の歴史(昭和41年~大川筋中学校)
昭和22年4月1日 大川筋村立明星中学校 青年学校併設
昭和23年2月24日 校舎落成、イウシ山3588番地 階下小学校 階上中学校
3月31日 学制改革により青年学校閉校
昭和39年10月1日 明星中学校、勝間中学校、名目統合
昭和41年4月1日 実質統合 大川筋中学校と呼称
4月20日 新校舎落成
昭和47年 川登小学校も、川登1030番地に新築移転
また川登小学校は明治41年、神のウシロ、現在の診療所の北隣に新築移転していた歴史があるので、また学校が元の場所付近に帰ってきたという事になるかもしれない。
明星中学校跡の隣の諏訪神社
まずは神社に参拝
石段
もう地元の方が訪れる事自体が稀な事になっているようだ。
それでも春にはいつもの桜吹雪の舞い散る季節がやってくる
境内の水道は利用可能
皇紀2602年=昭和17年>>越えられない高い壁>> 西暦1942年
もう一つは明治42年
学校跡
国旗掲揚台かな
違うみたい
隣に相方が倒れている
大きな校門の門柱だった
校庭
昭和50年頃の航空写真
もうこの時には明星中学校の場所から大川筋中学校も川登小学校も移転済みである
そして現在はバイパスが作られている
勝間までの道も、当時はこんなにクネクネ道だったのが
大型バスもスイスイと進んでいける道になった
明星中学校の巨大な校門跡
明星中学校の児童数は昭和36年度に114人で、当時一階が川登小学校(昭和29年までは大川筋村立第一小学校)だった訳だから、ここに児童生徒300名を超す大きな学校があった訳だ。
周辺の雰囲気からしてとても想像も付かないような事実ではあるのだが、
それは現在のように高知市内からスクーターで2時間少々で来れる時代の話ではなく、道も狭く、クネクネと曲がっていて、ここに来るのに半日は掛かり、パソコンも携帯電話もなく、やっと洗濯機が普及始めた頃の話である。
高知県ランキング
コメント