そして登山モードで「木馬茶屋」に到着
奥の建物の屋根には今日もエンジンが載っている
登り口
往復3時間とはあるが1時間程で登る事が出来た
登り口には給水ポイントがある
平坦な道を少し進む
右手に石灯篭がある
この灯篭はこの先各地で目にする事になる
日付は明治24年
また明治時代の旧11月とは一体どういう事なのだろうか
大屋敷の文字がある
明治時代には既に「王屋敷」から「大屋敷」になっていたという事か
平坦な山道はすぐに終わり勾配のきつい山道が始まる
大正時代の道案内
16丁30間
一丁は60間で約109m 約1.8キロの山道
給水ポイント
茶屋からは3カ所目だ
そして林道に交差する
ここに韮生山祇神社の鳥居がある
日付は大正13年
ここにもこの石灯篭
こちらの日付は昭和9年
これも別の場所でも見る事になる
少し登ると
時代は慶應のものとなってくる
山祇神社
四カ所目の給水ポイントは
植林になる前は水量も豊だったそうだ
時代は文政のもの
奥には石仏が置かれている
尻見坂
入山安全祈願
もうすぐだ
日付は文久3年
梅久保村
当時から存在していた村だ
着いたようだ
ここで地元の方に合う事ができ、いろいろと話を聞かせていただいた
在所村史によると韮生山祇神社の建立は宝暦2年10月とある
また歴史年表では寛延1年(1748年)となっている
帰り道
梅久保の集落
ここでにも同じ石灯篭がある
登る前に御在所山に登った人のブログを見たが、登山の道中で一人歩きの綺麗な女性とすれ違ったそうな。
そういえば私も登り口付近で、行き、帰りの二回、凛として美しい女性とすれ違っていた。
偶然にしてはあまりにも出来過ぎた話である。
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