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開校は明治7年
現在いの町であり、平成16年以前は吾北村であり、さらに遡ると昭和31年以前は、清水村、上八川村、小川村、下八川村だったこの地域の学校の開設は、今まで訪問したその他の地域と比べて早く、時期も明治7年というのが多い。
下八川、中央、東谷、柳野、もそうだ。
その他の学校はまだ確認出来ていないが、昔役所のあった、上八川小学校、清水第一小学校付近、そして現在、唯一の小学校・吾北小学校のある場所で、ここより開設が遅かったという事は考えにくい。

そしてそれは、現在、過疎化が進行し、12校あった小学校が1校にまでなってしまったこの地域が、100年前は今では想像もつかない程 多くの人が住み、活気に溢れていたという事になる。
そして明治5年の学制発布の直後に、ほぼ統一して同時期に一斉に小学校が設立出来たという事は、それだけの活気があり、財力があり、人材がいて、住民全体が「教育」の必要性を十分に理解出来ていたという事になる。

そしてそれはまた別の表現をすると、それまでのこの地域での歴史、文化、伝統というものが、国家が組織的に行う「学校教育」というものに、即座に対応出来たという事になるし、それまでの「大人が子供達を育てる」という行為を、「学校教育」というものに「転用」しただけの話で、それまでのこの地域の「大人が子供を育てる」という伝統、文化は相当レベルの高いものだったのだと思う。

明治5年以降はそれが「学校教育」とい概念になっただけで、それ以前もそれに相当するもののレベルがかなり高く、学校教育というものを始めるには十分すぎる程、その基盤がしっかり出来ていたという事だ。

・・・とい事を考えながら、その地域の食料品店でお弁当と菓子パンを買って食べるちょっと遅めの御昼御飯てのは、なかなか別格の味だ。

●吾北村の小学校統合の流れ!!
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中央小学校から上東小学校方面に向かう。
旧439号線を走る。
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そしてバイパスから再び、旧439号線へ!!
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左手にそれらしき石垣が
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レトロな看板のある酒屋
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そこが上東小学校跡だった。
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玄関
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石碑
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そして上東中学校跡でもある
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開校100年の記念
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正門
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職員室
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廊下
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炊事室
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幼稚園も併設
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そして裏の一段高い場所に
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プールがある
小学生用2コース
幼児用1コース
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「飛び込み」を復活させよう!!!
ヘタレ教育にはうんざりだ!!!

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