イメージ 1上尾川からの道を記入してみたが(地理院地図の記載を元に)、実際はこの通りではなく、道はかなり崩壊、崩落がすすみ、橋も既に跡形も無く、道なき道を進み仲木屋まで歩いた事になります。

久しぶりの上尾川小中学校
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おおみやはし
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昭和54年2月架設
(上尾川小中学校は昭和62年に休校、現在も休校中)
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ここを過ぎると
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そしてすぐに
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さらに進むと、既に・・・・
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そして、二本の川が合流している地点
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さらに進むと、こんな道案内が
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進む、炭焼きの窯、この先無数に点在する
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再び
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山道の案内板らしいが、既に倒れている
5年や10年ではこんなにならない
既に忘れ去られようとしているのか・・・・
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山道を進む
これは「伊尾木森林鉄道編」ではない
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先日、羽尾で仲木屋にリヤカーで通れる程の道があったと話を聞いたが、決してリヤカーを引いて仲木屋から上尾川に行ける道ではない!!という事が分ってきた。
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いやもう、道があるだけでありがたい
そして地籍調査の人が付けてくれたであろうピンクのテープもありがたい
そして自分も所々、ブルーのテープを付けていく
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そして看板が
どうやらこの周辺ぐらいまで、過去に「観光地」だったようだ
しかし、その面影は看板だけ・・・
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帰りに行ってみるか・・・・
(結局、こっちは行きませんでした)
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そして
こっちは行ってみましたが・・・・
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炭焼きの窯
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どうやら道は対岸の渡るようだ
地理院地図は仲木屋まで川の北に道が着いているが、仲木屋が無人になって半世紀以上、そして近年の大雨で状況はかなり変化しているようだ
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対岸の石垣が見える
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こんな感じで続いている
(反対側から帰り道に撮った写真)
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もうあえて言おう
これも道という状態・・・・・
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そしてこれ程の上流で、これだけの流木
近年の大雨がどれだけ凄ましいかを物語っている
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そして、前回、仲木屋分校跡地の下で見た耕作地とほぼ同じに見える耕作地を過ぎ、それがそこだとの確信も十分にあったが、一抹の不安もあり、ではすぐその先にある神社跡にまで行ってみる事に。

そして、そこは間違いなく仲木屋分校跡地の下の耕作地だった

そして前回撮り忘れた、神社跡の瓦の写真を
まさか、上尾川から歩いてきて撮る事になるとは想像すらしていなかった。
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ここまで約2時間
半世紀前はその半分ぐらいの時間で来れたのでは、と思う。
そして神社もそのままの姿だっただろう。
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帰る事にする

この山の中で、3月の4時を過ぎているのにこの陽当たり
何故ここが耕作地なのか、よくわかる!!
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仲木屋の集落は、選ばれた土地に作られた集落という事だろう
あの集落跡の完成度の高い石垣を見てもよくわかる!!
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実はこのあたりは、羽尾の方に、川の南側にリヤカーの通れる程の幅の道があると聞いていた場所だが、川の北側を歩いている。
羽尾の方も、もう道は無くなっているだろうと言っていたし、道は無数にあるとも言っていたし。
しかしその道も、こんな感じで人工物を見つける事自体が困難な状態にまでなっている。
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お、でもここはいい感じだ!!
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しばらく雨は降っていないが、それでもこれだけの水の流れる沢が数か所あった
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なかなかいい状態
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橋も崩落
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杣人の道
ちょっと登ってみるか!
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道も埋もれかけだ
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道が崩壊
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地図にある写真を撮った場所、で撮った写真!!
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なかなか歩きやすい
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倒れていた看板を起こしてみた
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これが無ければ、全く何処が何処だか分からない状態だったと思う・・・
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下から見て分からなくとも、上から見るとそれが「道」だとはっきりと分かる!という事もある!!!
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上尾川周辺にある耕作地の道
崩壊した仲木屋の耕作地の道も、本来はこんな感じだったのだろう。
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上尾川小中学校
「休校中」のこの学校の時計は7時13分で止まっている。
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校舎の前にはレンゲが咲き始めている
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久しぶりに「学校前橋」を渡ってみる
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そしてその奥にも道が続いている

そして立派な蔵のある民家跡があった
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そして足元には鹿の骨が
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半世紀前、上尾川小中学校には50人程の児童、生徒が通っていたそうだ。

当時はこの景色の中に無数の民間が点在していた事になる。
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俺の生まれる前の話になるのだが・・・・・



藤ノ谷の集落(昭和50年の航空写真)
右下が寺内、右上が押谷
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