戦後、開拓が始まり、昭和37年1月10日小学校廃校、集落も無人になる。
その後昭和40年代後半まで上岡放牧場が存在したが、車道の接続はおろか、現在まともな山道すら存在しない、そんな忘れ去られる寸前の昔の集落。
現状はだいたいこんな感じだ。
アマゴの養殖場跡
舗装も切れ、少し走るとカーブミラーがある
その奥に赤い橋があり、そこから1時間半から2時間半の距離に上岡地区がある。
直上ー横道ー直上なので、かなりキツイ山道だから、かなり到達時間に個人差があると思う。
途中にある石垣の階段
この付近から、下の林道と川を確認出来る
この「山火事防止」の看板を右に、しばらく横道が続く
そして上に登る道があり、そこから直上のキツイ山道になる
そして、索道跡が見えてくる
そこに軽トラがある
ミニキャブワイド55
昭和52年(1977年)以降の車、つまり放牧場が終わった後の作業に使われたものだろう。
確かに集落跡にはトラックが走れそうな道はあるのだが、では一体どのルートでここまで来たのだろうか?????
桑ノ川方面から少し大回りをして上岡に繋がる道があったと聞くが、またその他にも上岡に繋がる林道の接続はあったのだろうか??
気になる!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
佐賀野から川の支流の奥からも上岡に繋がる山道はあったと地元の方が言っていた。
まあ、これは完全な山道だ。
桑ノ川から進み、橋を渡った所から繋がる山道の先に、トラックが通れそうな道が確認出来れば、それだと思うが・・・・・
-------------------------------
上岡の歴史
物部村史より
かつてあの場所に人々の生活の灯があったとは
そして小学校があり、児童達がそこに通学していた時代が存在していたとは。
今はもう特別な理由がない限り誰も足を踏み入れる事のない、あの山の頂上付近に・・・・・
そして、四半世紀にも満たない上岡の集落の歴史が閉じた後、昭和40年8月31日に上岡放牧場となる。
コメント