伊尾木森林鉄道の調査も一段落し、再び学校跡地訪問へ!!

①という事は、つまりまだ到達していないという事である・・・・・・・・


現状はこんな感じのようだ。
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夜須、羽尾小学校仲木屋分校は半世紀以上前に廃校になった学校で、集落自体も同時期に無人になっているようで、林道脇にある跡地の石碑を目印にその下100mの山の中にあるそうだ。
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ヤッシーパークから51号線り羽尾の集落のまだその先の林道入り口
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その先 4キロ程に石碑がある。
舗装があるのは最初だけ。
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ここから下へ100mとあるから、素直に林道の北側を降りる。
鉛筆を持つ手でノートに影が出来ないように黒板は西向き!!の法則からして??と思いながら100m以上歩き、撫川へ続く川沿いもしばらく歩くが、耕作地と、炭焼きの窯跡と、川を渡る小橋の土台数か所しか発見出来なかった。
そして、その反対側(南側)にも降りてみるが、耕作地跡の石垣しか発見できなかった。
全く、何処を起点に、どちらに100m下かが分からない・・・!!

その日は時間もなく、帰って地理院地図を見て次回の作戦を考える事に!!
とりあえず、状況が分かったから、よし!としよう!!
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そして後日

その後に林道が出来、当時の地理院地図と状況が変わっているので、石碑を起点に考えるのではなく、少し先の717地点の尾根から集落を探す事にする。

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そして、717地点から入る!!

この等高線から尾根が歩きやすい事は想像がついていたが、しっかりと杣道があった。
ブルーのテープで目印を付けながら、尾根の東側への道を探す!
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下り過ぎないように気を付けながら、そろそろという感じの地点に道があり、すぐに民家跡があった!!
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まだこんな状態で残っているとは・・・・
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民家の中には当時の生活を偲ばせるこんなものが・・・・
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これは・・・・・・
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この家の玄関の石段!!
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同じ敷地の隣の建物は完全に崩壊している
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立派な石垣の上に、その民家跡はあった
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そして、等高線から分かるように、その西側が広くなっている訳だが、そこは石垣でしっかりと仕切られていた!!
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そこから西に向かうと、石垣、民家跡、耕作地跡があったが、歩くのが大変なほどで、写真を撮っていない・・・

そしてその先にさらに大きな集落跡が
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ここが仲木屋の繁華街かも
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当時は整然と整備された綺麗な集落だったのでと想像出来る!!!
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杜があり、小松さんのお墓があった。
杜はまだ手入れがされているようだ!!
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ここにも民家跡が残っている
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がしかし、漠然と仲木屋の集落跡を発見出来たが、目的の学校跡が見当たらない。
というか、一体何処を、何を根拠に、何を目印に学校跡地を特定すればいいのか、
ここに来て初めて疑問に思ってしまった。
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まあ、この日は安芸でのサッカーの試合の後、現地到着三時半で、ここまで来れたから、よし!としよう。

帰りは、ブルーのテープを辿りながら帰ろうと思っていたが、この集落をさらに西に歩くと、上に林道に辿りつけそうな場所があったので、そこから登って帰る事に。

実際に林道に出るまでは、ドキドキしながらも、結果的には、さらに仲木屋への近道を発見出来たので、これも、よし!としよう!!

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このすぐ下に、仲木屋への道がある!!
下り2分。登り5分ぐらいだろうか!
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石碑から、少しく下りになり、そこから再び717地点に登る坂の手前のこの看板が目印だ
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時間は5時を過ぎ、辺りは暗くなり始めている。
そして、なにやらポケットが騒がしい!!
どうやら携帯が鳴っているらしい!!
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本部からだ!!!
今日は疲れたから、晩飯を買ってこいとの伝令!!!

このペースで帰ると、丁度、野市の半額タイムに間に合う事になる。

夜須の仲木屋のこのヤッシーパークの見渡せる周辺は、携帯の電波も良好らしい!
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