歴史
別役小学校
明治28年 尋常小学校として市宇に開設
大正3年  別役に移転
昭和16年 別役国民学校
昭和22年 別役小学校
昭和53年 大栃小学校に統合
ピーク時 児童数 昭和34年112名 (卒業生数1088名)

別役中学校
昭和29年 別役小学校の一部を借りて岡ノ内中学校別役分校として開設
昭和32年 校舎新築
昭和36年 別役中学校として独立
昭和53年 大栃中学校に統合
ピーク時生徒数 昭和38年 55名 (卒業生数 264名)

場所はここ!!岡ノ内地区から195号線を平行して走るように見えるが、等高線から分かるように、全くその遥か上を走っていくことになる。そして小松神社を過ぎた先の道を進んでいくが、その道路を作る為に、土砂捨て場があり、その土砂を捨てる場所として学校跡地を使ったそうだ。しかし、それまでは学校跡地に車道の接続はなく、山道である村道が繋がっていただけ。跡地は埋め立ててしまわれたが、その埋め立てがなければ、その道が存在しなかったという、事になる。

岡ノ内小中学校跡地の前を直進。小松神社も過ぎ、地元の方に話を聞く事に!
そうすると、近くだから案内してくれるとの事。実は前回訪問したものの、場所がわからず、夕方になり、時間切れ、撤退してたのさ!感謝!!
道路の真ん中に鹿の骨が落ちているそんな場所だ。(犬が咥えてきたそうだ)また山道を歩くと、普通に鹿の角も落ちているそうだ!!
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到着!!!この埋め立て地を降りたところに、少しだけ当時の面影が残っているそうだ!!
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目印とするならこれかも!!!
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今年はまだ草を刈ってないとのこと!!冬場にもう一度来て写真を追加したい気がする。
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案内してもらい、この埋め立ての先の角から下に降りると当時も面影が少し残っているとの事!!
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すぐに学校跡地の石碑がある。しかしこの石碑は物部のその他の学校の石碑のように、裏が57年ではない。石碑そのものが違う!
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車道の接続はなく、みんなこの村道を使って通学していたそうで、高低差も激しく、八時の朝礼に遅れる事もあったそうで。て、朝礼は
八時だったんのですか。
そして終戦のあの放送も、集落で唯一ラジオのあるこの学校で、小学校に入りたての時に聞いたそうです。
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付近の状況
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この石垣は当時のもの
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学校があった頃の風景
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廃校後の様子(年代不詳)
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そして

黒板の落書き!!!!!!
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教員宿舎があるとの事で
当時はこんな山奥で車道の接続もなく、校長先生は家族で敷地内の一軒家に住み、教員は4名で教員は宿舎に泊まり込みだったそうだ。そして校長先生はお子さんの中学進学で移動していったとの事。物資は下から索道で引き揚げ、給食は地元からの差し入れも多く、まあとにかく自分の小学生時代とは全く違う世界だ!!
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こちらに二室、そしてもう一軒あったそうだ。
そして中は4畳半プラス玄関程度の広さ!!!
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跡地から近くの集落を!
当時は10数件の民家があり、夜は光ってまるで街のように見えたそうだ!!
そしてここの紅葉は素晴らしとの事。
まあ、観光地の紅葉とは別格だろう!!!!
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この後、別府学校跡地に向かう事を話すと、引き返して195号を走ってもいいし、この先の道が去年別府近くに抜けたから、そっちに行っても大体同じと教えてもらい、改めて感謝の念を伝え直進する事に!!!

昔のバスががあった。大栃ー影
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しばらく進むと、眼下に195号線が
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三椏は500円札とかお札の原料だったとか。
当時の人々は、山を切り開き、そこでその産業が始まり、衰退し、最後は植林して、山を降りたそうだが、いまではその自分の山がどこかもよくわからない人がいるらしい。そして一部伐採していた場所があったが、そこはとにかくお金になればいいとの事で伐採したらしいが、それが30年前の話。すこし樹木が生えてきてるが、山肌が剥き出しの状態であった。

そうそう、当時ここから高知に行くには、泊りがけで(もちろん歩き)で大栃まで行き、そこからバスで2時間かかっていたそうだ。

なるほど、石碑の件はこういう事だったのか!!(以下物部村資料より)
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平成30年6月10日追記

昭和50年の別役小中学校付近の航空写真
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学校は真ん中!!

車道の接続さえないこんな場所に小中学校があった。

今では信じられない事かもしれないが、当時はこれが「当たり前」だった!!

そして生活物資は「索道」!!