高知の廃校になったあの小中学校は今!!

大月町・芳ノ沢小学校の校舎(昭和58年廃校・昭和27年築)

2020年10月

越表小学校から388に入り宇納間地蔵の分岐から山越えで日之影町に向かう。

峠を越した先に小原小学校がある。

山の上に天文台があるが、もう両側の集落からの定期的な往来は限定的であるようだ。

日之影町の小学校の状態

廃校小学校のういき


小原小学校の場所

地図

天気が悪かったせいもあるが(9月中旬)峠付近は霧が凄かった。

そこを抜けると、ぽつぽつと民家が現れ学校があった時代の雰囲気を醸し出してくる。


集落の中心部に着いたようだ。
2-2-2 学校跡に着いたようだ


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追記

もう少し詳しく見ておけばようかった
なんと河川プールがあったようだ。
2-2-2-1  プール

でも、私の九州訪問は始まったばかり。
いずれ行く事になると思う!!
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つまり学校のあった場所

なんてこった、、、
2-2-3 なんてこった


かつてここに小学校があり、その歴史は100年を遥かに超える

その小学校の歴史の礎として、それ以前からの数百年以上の地域の教育の歴史がある。


2-2-4  かつてこの地に小学校があり、その歴史


そして小原小学校の廃校は、この地域の教育の歴史が幕を閉じたという事と同意義語となる、

2-2-4-2

開校明治11年4月

そして小原小学校の統合先の日之影小学校は明治9年、しかも大人小学校の前身から始まる。

当時は、というか、長い歴史のなかではほんの最近まで、ここは多くの人々が住んでいた場所。

学校が統合となった事は、この地域の長い歴史が幕を閉じたという事で、廃校、休校、統合、の言葉だけでは表現できない重大な事なのである。


私はまだタイムカプセルとう物に出くわした事はない。

何故なら卒業した小学校も中学校も高校もまだ現役だから。

2-2-5  実は私は今までにタイムカプセルに関連する状況


落雷だろうか・・・

学校の校庭に落ちるとは・・・・・

しかし、もうそこには児童達の姿は無かった・・・・

学校の場所はその地域の中でも一番条件の良い一等地。

そこに雷が落ちて大木が折れるとは、一つの時代の終焉を象徴しているのだろうか。

2-2-7  校庭


道路の反対側に僻地集会場があったが地図には全く反映されていない。

地図にはⅬ字型の校舎が記載されているが、もしかして昭和20年代後半に建てられた木造校舎が改装あれて建っていたのだろうか。

2-2-8  校舎も無い


平成14年に日之影小学校に統合となり解体された校舎の跡に建てられたこの建物さえ、シャッターが閉まり玄関には鍵がかかっている。

つまり学校の廃校とはそういう事なのである。

2-2-9  プールは無かったのかもしれないが、校庭の横は天然のプール


プールは無かったようであるが、そもそもこの地域の子供達にとってプールは必要ないものであった。


そして昭和末期から平成全般に掛けて起こった学校の廃校休校統合はそれ以前からのその地域の教育の歴史を含む長い歴史の終焉を意味するものであるが、それは同時にその先にあるべき新しい時代の始まりを意味するものでもある。








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 キャプチャ地図

平成21年 坪谷小学校に統合

キャプチャ

446号を挟んで坪谷中学校越表分校と越表小学校がある
2-2-2 到着

かつて、昭和30年~40年代、この小学校に200名程の児童、道路を挟んだ反対側の中学校の分校に100名程の生徒、合計300名程の子供達が元気に登下校していた。

3-2-2  そして小学校跡に


閉校から10年程だが、昭和43年に建てられた鉄筋コンクリート二階建ての校舎は解体されていた。

3-2-3  校舎はもう解体されている


かつてここで200名程の児童の駆け抜ける運動会が行われていた
3-2-4  ほんのちょっと前まで子供達の歓声が響き渡っていた場所

若山牧水

3-2-5  若山牧水の生誕の地でもある

二宮金次郎
3-3-2  二宮金次郎像


完璧な状態で現存

3-3-3  完璧な状態で現存

新設の学校に再び設置される事があってもいいと思う

3-3-4  新設の学校にはない


日本本来の美しい姿を取り戻そう!!


かつてこの地に小学校があり創立100周年を迎えたこの石碑が設置された。

3-3-8  創立100周年は次の100周年、すなわち200周年


この様な学校跡の石碑はこの先、一体どういう事になるのだろうか。

3-3-6  四半世紀後、半世紀後、1世紀


学校の開設は明治9年

始めから校舎と校庭があった訳ではない

昭和43年に鉄筋コンクリート二階建ての校舎が建てられ翌年に僻地集会所体育館が完成

でもプールの完成は平成3年

しかしプール等なくてもすぐ前にある小丸川があり、そもそもこの地の人々は、プール等無くても小丸川で普通に泳いでいた。

プールの設置など、余計なお世話だったに違いない!!!


3-3-7-2

校門前にある教員住宅
3-4-2  校門前にある教員住宅

昭和末期、もしかして平成初期まで、ここで先生が住み込みで通勤していたかもしれない。

建物の状態、及び使用されている建材からそう感じるのである。


日向市から進んだこの道の先を進むと、また小学校中学校があり、その道を進むと、また小学校があり、集落と集落が繋がっていて、その点においては高知県東部と違うものを感じる!!







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新型コロナウイルス感染症患者については、これまで一律に「入院」としてきたが、10月24日から「入院」の対象は、▼65歳以上の者▼呼吸器疾患を有する者▼臓器の機能低下が認められる者▼免疫機能低下が認められる者▼妊婦▼重度・中等症の患者—などに限定する—。

https://gemmed.ghc-j.com/?p=36590&fbclid=IwAR3OAdK3UWRDralUPF-IbaAy-1rF5O7uo3JhJAI-EDjBufNdGGbP04YFVI8

●官報・令和2年10月14日

官報 令和2年10月14日 コロナについて

私は医療関係者ではありませんが、一国民として「良い事」だと感じています。





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平成30年春に中国の留学生を大量に受け入れたあの日章学園九州国際高等学校ですが

日商学園1


あれから2年が過ぎ
日商学園2


当時の入学生は3年生となりました。

その後、一体どうなるのか気になっていたのですが、なんと翌年の入学生は一人、その翌年は0人だそうです。
日章学園4



●日章学園九州国際高等学校
https://school.js88.com/scl_h/22049830/


支那と本気で関わってしまったこの高等学校の来年は一体どんな事になっているのでしょうか!!

具体的な事は分かりませんが、支那が投資した分はきっちりと回収され、ケツの毛、まで抜かれて結末を迎える!!という想像は付きます。


●2018年4月27日「少子高齢化で人口が減るから移民が必要の大嘘」
 http://shgogo65006854.livedoor.blog/archives/2810215.html






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446号を走り坪谷中学校から 越表小学校に到着
2-2-2 到着


そして道路の反対側にも学校がある
2-2-3  そして道路を挟んだ反対側には

なんと中学校跡だ
2-2-4  中学校跡


坪谷中学校越表分校
2-2-5  坪谷中学校 越表分校


坪谷中学校も坪谷中学校越表分校も、同じく昭和22年、それぞれ坪谷小学校、越表小学校の敷地内に設置され発足し、その後それぞれの敷地に校舎を建てる事になる。

2-2-6  越表中学校が越表小学校から移転後の昭和26年から


しかしそれまで「中学校」というものが存在していなかったという訳ではない。

当時の小学校は「尋常小学校」、中学校に相当する学校は「高等小学校」と呼ばれていた。



また分校の本校である坪谷中学校の石碑には
2-2-6  プール完成は平成7年 昭和22年、坪谷小学校

昭和57年3月の本校の統合までに665名の卒業生を輩出している。

年平均で20名程の卒業生。

という事は、昭和30年40年代には、この坪谷中学校越表分校に100名程の生徒、越表小学校には200名程の児童が通っていたという事になる。


また本校である坪谷中学校のプール完成が平成7年。
当然、昭和57年に本校に統合となったこの分校にはプールは無かった。
(越表小学校のプール完成は平成3年)

しかし私は学校にプールがある事は決して「良い事」とは思わない。

何故ならプールで足を付けずに25m泳げる事は、そこから一歩外に出ると「全く役に立たない!!」からだ。





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福瀬から東郷学園前を通り越表小学校に向かう。


その手前に坪谷小学校があるのは知っていたが、


これは小学校ではない
2-2-1-2  学校跡だ

東郷学園から向かい、坪谷小学校の1000m程手前の場所

現在は九州電力の資材配給所となっている
2-2-2 越表小学校に向かう


坪谷中学校だ
キャプチャ廃校中学校

平成23年に東郷学園に統合となった。

実は予定外でここを訪問して全力でよかったと思っている。

何故ならこの坪谷中学校には分校(坪谷中学校越表分校)があるが、上記の記載を含め、坪谷中学校越表分校の開設、廃校、統合についてはネット上に記載が無いから。

2-2-3  学校跡だ


校舎は昭和50年代のものだろう

2-2-4  坪谷中学校


廃校から10年も経たないうちに資材置き場とは、また逆に私の地元「高知」と比べて早すぎる気がする。

ともいうが、実際は高知ではその後、廃校後の中学校が電力会社の資材置き場になったことは無いだろう。

この点、九州の宮崎と、四国の高知の地政学的な違いを感じるから。

何故なら、現在の高知の廃校中学校の付近に電力会社の資材置き場等、今更必要ないから!!

2-2-5  校庭は資材置き場となっている


学校の歴史

昭和22年坪谷小学校の敷地に誕生した坪谷中学校
越表小学校の敷地に設置された坪谷中学校越表分校は昭和57年に統合となる。


2-2-6  プール完成は平成7年 昭和22年、坪谷小学校

プールの完成は平成7年

卒業生数は2565名

昭和30年40年代には200名を超す生徒が通い、平成の時代に入っても100名を超す生徒が通っていた事が様に想像できる。


そして当然その生徒数はその頃の坪谷小学校には400名を超す児童が通学してい事を物語っている。
2-2-7  学校跡地は現在と当時を繋ぐ異空間でもある


坪谷小学校前を走り越表小学校に向かう!!







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バイクで帰宅途中、突然道路のど真ん中に猫が現れた。
減速するがなかなか動こうとせず、ギリギリの距離でやっと去って行った。
そして5分程先のいつもの店でいつもの酒を買ってバイクを加速さた先に、猫が車に跳ねられていた。
すぐにUターンし猫の手前にハイビームでバイクを停めて猫の体を持ち上げると、全く反応が無いが体はまだ温かい。
跳ねられてほんの少ししか時間が経ってないようだ。
そして近くのお花の中に移動させ、買ったばかりの酒をお供えした。
画像花

そういう事だったのか。
先ほど道路のど真ん中に現れたその猫は。
仲間の死を察知し、すぐにそこを通る俺に
「すまんがワシの仲間を弔ってくれんかのう」
と言っていたんだと。






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福瀬神社の隣にある福瀬小学校

東郷学園東郷小学校に統合となってまだ10年経っていない
キャプチャ


その後福祉施設なっていたがそれも休業中である
2-2-3  福祉施設となっている、そして休業中


校門
2-2-5  校門

校舎は昭和40年代に建てられた鉄筋コンクリート三階建て
いや、この仕様は昭和50年代っぽい。

2-2-2

校庭
2-2-6  行程


創立100周年
2-3-2  創立100周年 

美々津から耳川を遡る現在の新しい規格の道が完成するまで交通の不便な場所であったと思う
2-3-3-2

校門前の道路を挟んでプールがあるが、、、
2-4-2  道路を挟んでプール


それまでは普通にその前の耳川で普通に泳いでいた。





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耳川に沿って福瀬に向かう。
地図1

地図による道は現在の道で、以前はもっと険しい道のりであった事がその状態を見る事で容易に想像できる。、

この険しい川沿いに続く、自然に反した何故だか平坦なアスファルトの車道、昔の人々が迂回するか登って超えるはずの場所を重機で掘削した作ったなんとも不自然な道。

その先に「日向市」の「福瀬小学校」と「福瀬神社」がある。

福瀬小学校は平成23年に東郷学園に統合となる。

キャプチャ

そして福瀬小学校の東にあるのが「福瀬神社」
2-2-2-2

「祭神」は「日本武尊」、、、そう、あのヤマトタケルノミコトである。

そんな普通に日本の神話に出てくる人物が、普通に存在しているのが普通の本当の日本の姿。
2-2-5


そして神話とは、その出来事の例えや比喩であり、実際のそのままを描写しているものではなく、当時の人々の未来に対する「想いや気持ち」そして未来に託す「願いや希望」の象徴であった。

2-2-4


そして当然、祭神である「神」は実際に存在した人物というより、その人物を通して具現化される「想いや気持ち、願いや夢、そして希望、未来」の象徴でもあった。
2-2-3


まあ一般的には、世界の神て言うと
その地上の代弁者、権力者(ほぼ例外なく中年男性)
を含めて
「全知にして全能」
「完全にして無欠」
「唯一にして無二」
「絶対にして完全」
「聖者にして王者」
「神聖にして不可侵」
そして
「全ての支配者であり所有者であるのだ」wwwwww!



みたいなとこがあるが、日本の神々は実際にその地に実在し偉大な、そして功績を残した人物がその功績ゆえに「神」となり、地域の人々の「想いや気持ちや願い、夢、未来、そしてそこに描く理想や願望、そして希望の象徴として鎮座する事となる。

そしてその存在は日本国外の神々の初期設定である「畏れ多きもの」「厳格で厳粛である」ものではなく、全くその正反対の、優しく温かく、温厚で寛容的で、友人のような仲間のような、兄のような姉のような、弟のような妹のような、父のような母のような、爺さん婆さん・・・、まるで家族のような存在であったに違いない!!!

何故なら当時、小学校とは神社の境内内、もしくはその隣に建てられるのが普通だったから。

子供達の歓声が響き渡り、かくれんぼや鬼ごっこをして成長していく、、、、また家のような場所でもあった。
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