高知の廃校になったあの小中学校は今!!

大月町・芳ノ沢小学校の校舎(昭和58年廃校・昭和27年築)

2019年10月

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10月22日は祝日です。
(即位礼正殿の儀)
国旗を揚げて祝いましょう!!


【内閣府・国民の祝日について】
https://www8.cao.go.jp/chosei/shukujitsu/gaiyou.html


●天皇の即位の日の平成31年(2019年)5月1日及び即位礼正殿の儀が行われる日の平成31年(2019年)10月22日は、休日となります。また、これらの休日は国民の祝日扱いとなるため、平成31年(2019年)4月30日と5月2日も休日となります






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半年ぶりに長者野に向かう。




五所神社に参拝。
1-1 五所神社


途中、県外ナンバーの車が道を譲ってくれたが里帰りだったのだろうか。
1-2


掃除をしていく。
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半年ぶりの長者野小学校に到着




 
        校舎はもう無い

2-1  校舎はもうない


GW後に解体されたそうだ。

2-2


平成27年から校舎の姿を追いかけてきたが、あっけないもんだ

2-3  金次郎さん跡だろうか


でもまあ、あのままあの校舎を放置しておくのも相当危険だったと思う
2-4GW後に解体となったらしい


鉄棒と階段とラジオ
3-1  鉄棒と階段のラジオ


4年前は講堂のステージの上にあったこのラジオを一体誰がここに移させたのだろう
3-2  講堂のステージにあったラジオを一体誰が



校舎の基礎は建築面積を囲む形のみ
4-1  一階東の教室があったばしょから


当時の学校の造りがこれだから一般住宅はもっと簡易なものだった
4-2  基礎は現在のように内部まであるのではなく、外部のみ

作業をするために中央の石段もスロープに
5-1  跡地より


でもさすがに銀杏の木に手を掛ける訳にはいかなかった
5-2  校舎の前には相変わらず銀杏の木が。


鉄棒の傍に水飲み場みたいなとこがある
7-1  あれだけ訪問した気付かなかったのか、もしかして水飲み場

もしかして今まで見逃していたのか
7-2 掲揚台にも見える

学校前の建物
9-1  校舎前の建物 学校と時代を共にした建築物だろう

校舎と同時期のものだろう
9-2  造りは学校と一緒


中には学校の机があった
9-3  中には学校の机が。 

因みに、この建物の道路側の建物は売店跡らしい。

昔も商店という程のものはなかったが、売店は各所にあったそうだ。
だって児童生徒が130人程もいた時代があった訳だから。

この長者野に130人程の児童生徒のいた時代を知っている者の一体誰が、その半世紀後に学校が廃校になるなんて想像していたどろうか!!

   


長者野のメインストリート
8-2  今でもポストのある場所にはそれぞれそれ相応の理由がある

今でも学校跡から朴ノ木方面にも住人はいて、この学校周辺にも数人住んでいる。

また時々ここに帰ってくる人もいて、まだしばらくは無人になる事はないが、10年先は、いや数年先は本当にどうなっているか分からない。

と、話てくれた方も長者野中学校を卒業し都会に働きに出掛け、時々故郷の長者野に帰ってきている、と話てくれた。

中学校の卒業生の殆どが地元を離れ都会に就職する時代の中でも、まさかその後、自分の卒業した学校が廃校になり故郷そのものが集落としての限界を超える事になるとは、まあ誰も想像しないだろう。

ましてや最近の新興住宅時の様な歴史の浅い土地ではなく、源平合戦から800年 平家の落人の末裔の暮らす歴史の深い長者野でそんな事が起きるなんて。




この長者野のポストも最近 現役を引退したばかり。
8-1  長者野のメインストリート 何故ここにポストがあるか

そして、そもそも郵便屋さんにも便利な学校に接続する車道側ではなく、何故 学校の奥の民家の道沿いにポストがあるかというと・・・



それは

【地理院地図「奈半利」・明治43年】 ・長者野小学校の開設は明治12年だが、まだ地図に記載されていない。
1-5




現在の川沿いを走る車道は最近作られたもので、それまでの道は学校の西、集落の真ん中を走っていたから。

だから当然、郵便ポストは長者野のメインストリートに設置されていた訳だ。


時代が流れ表情の変わった町で、郵便ポストの場所を見る事で、その町の歴史を少し垣間見る事が出来る。

●地理院地図「奈半利」昭和40年代
4-2  長者野アップ



道は長者野の屋敷の西を通っている。これがポストのある道かどうかはわからないが、道は明治時代に発展した長者野の産業・炭焼き、を運ぶ荷台が、牛や馬が荷台を引いて通れる程の幅で、地形的に考えて、その後、自動車が通れる道に転用するには厳しいものだった。
長者野の人々の本家は朴ノ木に多いと聞いているが、ここから先の道が細くなっているのが気になるが、実はこれ「細くなっている」のではなく、長者野から吉良川に向けての道が改良された、という事だろう。

当然、その理由は明治時代に発展した「炭焼き」で、この長者野の屋敷を起点にして吉良川に「炭」が出荷され、それを受けた親方がそれを室戸まで運び大阪まで船で売りに行っていた。
そして当然「炭焼き」の現金収入は親方が大阪から帰ってきてからになる訳で、その様な時代があったため、長者野のガス料理集金は盆暮れ二回の習慣が今でも残っている。
長者野小学校の開設は明治12年で、明治43年の地図にも反映はされてないが、炭焼きの発展に伴い地形的に便利な場所が炭焼き産業の施設の建てられる場所となり、同時に「学校」も建てられる場所にもなる。

































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平成最後の長者野小学校。
出来れば桜の舞い散るタイミングで訪問したかったが、ちょっと遅かった。


1-1 校門から 桜は散っている


もう校舎の東側は崩壊している
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もともとは僻地集会所(体育館)のステージにあったこのラジオ。
一体誰がここに置いたのだろう!!
5 もともとは僻地集会所のステージ

鉄棒
6 鉄棒


そしてこれがこの校舎を見る最後の機会になろうとは・・・・・!!!




●『地理院地図「奈半利」・明治43年』
1-1 奈半利 明治40-43



●長者野周辺アップ
1-3  長者野アップ

長者野小学校(当時は分校)明治12年に開設されたが、この時はまだ地図には反映されていない。
「長者」さんの屋敷が大きく記載されている。
また当時の道は現在の場所ではなく屋敷の西を通っていたようだ。
古矢の五所神社の手前の橋はまだ作られていない。

●日南周辺アップ
1-4  日南アップ


日南小学校(当時は分校)は既に地図に反映されている。

今でもそうだが、長者野のより日南のほうが人口が多く開けた場所だったようだ。



現在は室戸市であるこの地域も当時は吉良川村だった。
吉良川から長者野の奥、日南の奥までとは、明治時代にしてはとても大きな「村」である。
明治時代に始まりこの地域の産業となり大阪まで売りに行っていた「炭焼き」がこの地域を一つの村にしたのだろうか。

そしてそれ以前の時代は吉良川村とはまた別の村であった(らしい)と室戸市史に書かれているが、それ以上は今のとこ調べる事は出来ない。









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