「津賀ダム平和祈念碑」を建設した担当者から直接「強制連行」という非常に有難い「お言葉」を頂いた訳だし、、
以下全文
(上、中、下の三部・拡大出来ます)
それに関する全ての項目に関して、事実と異なる事を指摘し、再度質問状を作成し、大正地域振興局に再度担当者に送って頂く依頼もしたので(前回、前々回参照)、次の行動に移る事にする。
しかし、改めて思うが、関連質問⑦の「冬には雪が舞い込んできた」とは、、、、
当時はそれが当たり前だったのだが、、、、
春先の3月に「雪が舞い込んできた」家に住んでいた俺は一体どうすればいいのだ???
しかもテレビの冷蔵庫も洗濯機も電話も洗濯機もガスコンロも(以下略)、もあり、(以下略)で、それより生活環境は遥かに高かったという事か。
しかも平野部ではなく、寒さの厳しい大正村時代の山間部での話だから、よっぽど素晴らしい生活環境だったに違いない。
また工事現場までの道が無かった時代に、工事現場までトラックに乗せられて行ったとの事だが、戦後しばらくしても下道までバスは行かず、手前で転回していたそうで、前記したとうり、下道に繋がったのは昭和27~前後以降の話。
しかも当時は「歩く事」が基本でバスがあっても乗ってるのは爺ちゃん、婆ちゃんばかりで、転勤で学校に赴任する先生はおろか校長先生クラスまで歩きで移動する時代。
そんなご時世に、トラックに乗せられて来たとは、一体どれだけのご身分だったのだろう・・・・
ていうかそもそも「道」が無いし、、
おまけに「日本人労働者は沢山いたが、日本人の死亡者は子供が一人だけ確認されており、工事が原因ではない」
って、これ地元の人が聞いたらマジで切れるで、、、
地元の人全員が日本人と朝鮮人の共同墓地の話している訳だし・・・
ていうか、その内容でいくと、ダムの工事期間中、日本人は、工事関係者以外も含めて、老衰死、病死も含めて死者のいない時期が「5年」(もしくはそれ以上)程続いたという事だから、
一体どんな「歴史にの残る黄金の5年間」だったんだよ・・・・
また共有して頂けるという事であるから、
立場は違えど、私の一回りも二回りも先輩にあたる方々がそのような対応を既にして頂いているという事に対し、私自身が同じくこの内容を共有しないという事は「非常に失礼にあたる」から共有させて頂いているという状況でもある。
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そして本日、平成29年9月15日、北朝鮮がまたミサイルを発射した。
平成17年(2005年)4月12日の高知新聞にもあるように、この件に「北朝鮮」が関連している事が分かる
そしてそれは、実際に現地にある「朝鮮高級学校」の文字からも明確である
(後ろから四行目)
朝鮮学校の校長は、朝鮮総連から指名される。
そしてそれは北朝鮮の将軍様からの「任命」だ。
その様なテロ組織の出張所が関連する石碑を、この場所にこれ以上放置しておく訳にはいかないからだ。
そしてこの場所とは、すなわち地元の「多々野小学校」「大正中学校」「四万十高校」の校区である。
そしてこの場所にある「津賀ダム平和祈念碑」に「強制連行されてきた可哀想な同胞の慰霊祭」という名目で、その関係者が「地元の児童達、生徒達の通学路」を使用して毎年、定期的に団体、御一行様で「慰霊」に行き、その場所で、歌ったり、踊ったり、土下座まで
している訳だ。
これ以上放置しておく訳にはいかないだろう。
そして
仕事や観光、生活のために、「地元の児童生徒達の通学路でもある」381号線、439号線、下道の町道を車で走る事と
「強制連行された可哀想な同胞の慰霊祭」に行くために、「地元の児童生徒達の通学路でもある」381号線、439号線、下道の町道を車で走る事は
根本的に「異質」な事であるのは、まともな日本人であればすぐに理解できる筈だ!
そして万が一、この通学路で事故が発生した場合、
「強制連行された同胞の慰霊祭に行く道中で起きた事故だから、元々の原因はウリ達の同胞を強制連行した日本が原因を作った訳だから、ウリ達は悪くないニダ!!!」
という事になる訳だ。
だからもう回答が来るのに2か月掛かる大正地域振興局、
「日本政府の見解、認識、立場」
と、
「幡多ゼミ、韓国民団、駐広島大韓民国総領事館の見解、認識、立場」
一体どちらが重要であるかの簡単な質問にさえ答えられない同局の回答を待っている訳にはいかない。
現在の状況を
地元の小学校、中学校、高校、県教育委員会、四万十町教育委員会に伝えて判断して頂く事にしよう。
現在までの経緯、状況、そして私と「幡多ゼミ」との質問、回答、それに対する私の指摘、説明は全て大正地域振興局が把握しているのだから、後は遠慮なく同局に問い合わせて頂ければいいだけだ!!!!
北朝鮮がまたミサイルを発射した今日、その北朝鮮の関係する「強制連行」の石碑が四万十町の小学校、中学校の「校区」にあり、その場所に「韓国民団本部」「韓国民団高知」「駐広島大韓民国総領事館」が定期的に「慰霊活動」に訪問し、歌ったり。踊ったり、土下座をし、その「慰霊活動」への「経路」に、その地元の小学生、中学生の使用する「通学路」が使用されている、という第三者からの報告に「無反応」な教育者など存在しないと、そう判断したからだ!!!
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という訳で、まずは四万十町企画課にメールを送信
前回は「担当は大正地域振興局だから」、と逃げていた企画課の反応と、「企画課は無関係だから」と断言していた奴を特定させる目的も含め。
(以下内容全文)
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今年の7月頃より下道の津賀ダム湖畔の西にある「津賀ダム平和祈念碑」の件について大正地域振興局の山本様を通してお問い合わせをさせて頂いております高知市の廣田です。
先日、山本様を通して、「津賀ダム平和祈念碑」を建設された宿毛市の「幡多ゼミ」の担当の方より、「津賀ダム平和祈念碑は、戦時中の日本による朝鮮人強制連行に基づくもので、それは事実であり四万十町にも理解して貰っていると考えている」という明確な内容の回答を頂きましたが、それは四万十町としても同じ認識であると理解させて頂いてよろしでしょうか??
(なお、頂いた「幡多ゼミ」担当の方からの回答については、多くの内容について日本政府の立場、史実、事実と大きく異なる部分がございましたので、その点を全て指摘させて頂き、山本様を通して「幡多ゼミ」の担当の方に再度、質問、回答依頼をさせて頂いております。)
またこの件に関連する当初の報道より(高知新聞2005年4月12日)、この「津賀ダム平和祈念碑」には「北朝鮮」と関連があり、それは現地で実際に「祈念碑」にある「朝鮮高級学校」の記載からも明確な事です。
そして現在「津賀ダム平和祈念碑」では定期的に「韓国民団」「駐広島大韓民国総領事館」等による「朝鮮人強制連行被害者に対する」「慰霊祭」が行われています。
そしてその場所は「四万十町所有の雑種地」であり、そこまでの経路は四万十町内の「381号線」「439号線」「四万十町の町道」です。
そしてまた本日も「北朝鮮」はミサイルを発射しました。
それもでまだ四万十町さんは「津賀ダム平和祈念碑」を「四万十町所有の雑種地に存在する四万十町民共有の財産」として所有し続けるおつもりですか??
まず第一に、なによりも、あの場所は、地元の小学校、中学校、高校の児童達、生徒達の校区です。
そしてその場所への経路は「地元の児童達、生徒達の通学路」です。
これは早急に「町」として対処すべきではありませんか?
前回、企画課に直接お問い合わせをさせて頂いた時は、「担当は大正地域振興局」との事で、7月より山本様にお問い合わせをさせて頂いておりますが、本日も「津賀ダム平和祈念碑」に関係する「北朝鮮」がミサイルを発射した事を考えると、四万十町全体の問題として早急な対応をされるべきだと思うのですが、その点はどの様にお考えでしょうか?
繰り返しますが、あの場所、そこまでの経路は「学校の校区であり、児童、生徒達の通学路」です。
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そして小学校、中学校、高等学校、高知県教育委員会、四万十町教育員会へと報告した。
それぞれ四万十町大正地域振興局に問い合わせをして頂き状況を知って頂き、時間は掛かりそうとの事だが、結果の連絡を頂ける事になっている。
因みに、一人、私の話す内容に火病りながら反応していた非常に分かり易い奴がいて、もしかして彼はあちら側の方ではないかと、、、私の連絡先も聞かずに電話を切ったが、ま、別の方向から学校には連絡が伝わるだろうから炙り出し作戦成功という事で良しとしよう!!!
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で、また来週は
再調査の結果、この経緯の中に、どうしても辻褄の合わない現象が存在し模もしかして、もう一方参戦して頂けるではないかと、ちょっと期待をしているでのある。
前回予告した、想像を絶する非常に斜め下の奇抜で予想外の壮絶なオチの可能性は、私の単なる勘違いだったが、その結果のその反対側がそれである。
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